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sleepover 第三話 初夜ハッピーエンド編

イツヤシお泊まり本三部作、完結編。
ゲームクリア後、ノーマルエンドの世界線のイツヤシです。


#イツヤシ  #sleepover
18歳以上ですか?

sleepover 第二話 渋谷でデート編

弥代と原宿デート後、弥代の家に泊まってイチャイチャの流れ
告白まで、セックスなし


「……ここは……?」
目を開けると、そこは暗闇に覆われた神殿――舞台装置が何らかのアクシデントにより停電したのかと、弥代は初めそう思った。だが、暗雲立ち込める頭上には細い稲光が走り、禍々しい冷たい空気が肌を舐めていく感覚に、そこは今まで居た舞台ではないと察知する。
ふと、誰かの悲鳴が聞こえた。舞台の中央に聳える黒い祭壇の方からだ。
「父さん!?」
そこに立つ父の姿を認め、弥代は駆け出す。父がすぐ側に居る、これで大丈夫だと感じた期待は、すぐに懸念に変わる。
「父……さん……?」
高らかにオペラを歌い続ける父の周りをどす黒い靄が包み、純白のはずだったタキシードは墨を落としたように黒く染まっている。その顔にも奇怪な紋様が浮かび……まるで異形の姿となって歌う父の姿に気付いた弥代は、祭壇の階段下で思わず踏みとどまった。
また悲鳴。ふと見上げれば、父の正面には先程まで舞台を鑑賞していた沢山の観客たちが、意思を失った土器色の顔をして立ち並んでいた。その周囲を取り囲むように楽士隊――ではなく、赤黒いローブに身を包んだ異形の者が、不協和音のような音を響かせながら揃って黒い祭壇へ祈りを捧げている。傍目に不気味がすぎる光景に、弥代は言葉を失った。
このままではいけない、父を正気に戻さねば――そう願うも、弥代の思考は想いに反して徐々に黒い靄がかかり、握り締めた手も足も気付けば動かせなくなっていた。
本来ならば、この時父の側へ躊躇なく駆け出した弥代を神竜の姿のチキが救ってくれたのだが――
ああ、そうか……と弥代は色の違う瞳を細めた。
やがて、身動きできないままただ立ち竦んでいる己に気付いたのだろう父が、他の観客達へしていたのと同様に弥代の頭上へ手を翳す。その険しい顔の後ろで、邪悪な笑みを浮かべる老人――ガーネフが、血のように赤い舌をつり上げた口角から覗かせ、何やら興奮気味に呟く。
『これは――素晴らしいパフォーマの輝きだ……これさえあればあのお方の復活も容易い――! さあ、全て吸い尽くせ――』
父さん、と叫ぶ声は父に届かない。父の手から放たれた暗黒の波が目の前を覆うと、身体全体が禍々しい魔道の力によって締め上げられるように軋む。苦しい。怖い。

「嫌だ、父さん――父さん!!」

――また、あの夢か……
闇の帳が未だ落ちたままの部屋で、悲鳴と共に目覚めた弥代は重い溜息を吐いた。
以前、蒼井樹の家で宿泊してから――しばらくの間、弥代は安穏な眠りを得ていた。だが、ミラージュ達を現代に招いた黒幕であるガーネフの存在、依り代である畑中ヤツフサとの対峙以来、己の怒りが、父を喪った悲しみの記憶がそうさせるのだろうか、どす黒い闇の儀式に迷い混む悪夢に、弥代はまた苛まれていた。
宿敵を前に何も出来ないと嘆く弥代の想いを受け、父の魂の輝きは樹が導いた弥代のパフォーマの力によってついに元凶の手から離れ、天へ導かれたというのに……。
未だにこのようなまやかしの過去の夢に魘されている様では父に向ける顔もないと、弥代は汗で額に張り付いた長い前髪を忌々しげにかき上げた。
思考を切り替えるため、眠る前より重くなった身体を起こしてシャワールームへ向かう。脱衣所に着くなり黒い寝間着を脱ぎ捨て、バルブをひねれば、冷水がザァと弥代の身体を覆った。
「………。」
染み渡る水はやがて暖かい湯となって冷え固まった弥代の身を緩めていく。
ふぅと一息つき、背後のバスチェアに崩折れるように座して前を見れば、縦長の全身鏡には眼の周りを暗く窪ませた自らの姿が浮かび出されていた。血の気のない白い肌に、虚ろな瞳を幾筋もの目蓋の皺が縁取り、濡れて束になった長い下睫毛からまるで暴?の如く水滴が流れている。あまり見ていたいと思えない己の無様な姿に、弥代は目を瞑った。
――瞑想は、心を整えるための最高の手段だ――と、記憶の中の父がいつか言っていた。
一切の思考を止めて、ただその場の感覚に身を委ねる。
サァ……と浴室に降り続くシャワーが大理石の床に落ち、排水溝へと向かって流れゆく。湿気の多い湯気に包まれたその空間は、弥代の呼気を幾分か楽にした。暖かなぬるま湯が石床に散らばり、足先を濡らしている。
暖かい……。
ふと、弥代は暖かさの中に樹と過ごした日のことを思い出していた。あの時もこんな風に、樹の家でシャワーを浴びて、暖かい夕餉を馳走になって、共に眠り、そして――。
あの日、樹の手のひらが触れた箇所を思い出すように自らの手でなぞっていく。頭、髪、背中、肩口、そして。
身体の中心に燻るようにじわりとした熱が生まれるのを感じる。弥代はそっと、樹が触れたのと同じように固さを持ち始めた性器へ手を伸ばした。
「ッ………」
血の通ったそこは思いのほか硬く、熱を帯びていた。丸い先端を覆うように優しく握って、括れたところに指を回し掛けて、擦る。
「あ………」
心地良い刺激を感じ、不意に濡れた唇から吐息混じりの声を出して、それが硝子に囲まれた空間に微かに反響する。
勿論、ここは弥代が一人で住んでいる高層マンションの一角で、ここには弥代しかいないことが明白であっても――弥代は、あの時と同じように、声が外へ漏れないように口を手で覆った。
薄目を開けて周りを伺えば、正面の鏡には長い脚を左右に割って自慰にふける姿が写っている。浅ましいと思いながらも、沸き上がる欲求に手は止まらなかった。
「ン、……く………」
弥代は、ひたすらにあの暖かい手の感触を思い出し、その記憶に沿って手を動かし、快楽を追った。だが、どうしても同じ具合にはいかない。あの時はもっと、痺れるような……ただ剣呑な摩擦で得られるだけではない、何かがあった。
睫毛を伏せ、もう一度樹の顔を思い浮かべる。
あの青みがかった団栗瞳が、躊躇いがちにこちらを見詰めている。早まる呼吸、紅潮した頬……。
高ぶった自身がずくりと脈打つ。
出していいよ……と樹の声が聞こえた気がした。
「……ァ………、ッ――――」
ビクッと弥代は背を弓なりに反らすと、熱い白濁液を手の中に放った。二、三大きく身を震わせれば、脚の下の黒い大理石にも白い筋が飛んだ。
ハァ……ハァ……と乱れた呼吸がガラスで囲まれた浴室に幾度か響いていたが、その後の熱の引きは早かった。
こんなに呆気ないものだっただろうかと疑問に思う弥代へ次に襲ってきたのは、強烈な睡魔だった。今なら、何も考えずに眠れるかもしれない。
弥代は汚れた手や下肢を洗い流すと、湯を止め、シャワーブースを後にした。
脱衣所で脱け殻のように落ちたままだったシルクのパジャマを一掴みにしてがさりと洗濯籠へ放り込み、その手で棚上にきっちりと畳まれて置かれているバスタオルですっぽりと身を包む。それから本能の赴くまま寝室へ戻ると、チェアに無造作に架けてあったバスローブへ腕を通し、所々皺が寄った紺のシーツの上に落ちていた黒いナイトキャップを湿った髪の上に被ると、どさりと広いベッドに身を横たえた。
転がっていた枕を手繰り頬を擦り寄せながら、抗えない睡魔に押し潰されるように弥代は眠った。

暗転――

再び弥代が瞳を開けたときは、濃色のカーテンの隙間から白い朝日が仄かにチラついていた。
ぼうっとする頭の中で弥代が思ったのは、もう一度樹と触れ合いたいという衝動に似た感情だった。
蒼井樹を家に呼ぶ。以前別れる時に樹にその意思があることを告げたのを思い出す。あとは体の良い切っ掛けを作れば良いだけだ。が――。
(そうだな……)
さて、どうするかと、まるで幼い子供に返ったような無邪気で純粋な期待を覚えながら、弥代は樹を自室へ招くべくベッドの中で策を練った。



「原宿で食レポの腕を磨きたい?」
弥代からのTOPICに呼ばれ事務所へ向かった樹は、ローソファで足組みをして座る弥代からそう告げられた。
「食レポって……この前のレンチンでもう俺より良い感じに出来るようになってたじゃないか」
「原宿で今話題のメニューがあると聞いた」
「うっ、あ、あれか……」
「知っているのか」
「あ、ああ、まあ」
「ならば話は早い 行くぞ」
「分かったよ」
返答を訊くなり週末にスケジュールを取り付けると、弥代は風のように去っていった。
あのゲテモノメニューに心当たりのある樹は心中穏やかではなかったが、弥代に食レポを開眼させた身としては仕方ないかと、変な責任を感じていた。

そして当日――
人でごった返す昼下がりの原宿駅前、一応スイーツが目当てなのでその時間に合わせ、学校から一旦家に帰って私服に着替えてきた樹が弥代を探す。
周りの人々よりも頭ひとつ背の高いすらっとしたモデル体型の男……居た。
「ヤシロ……そのスーツで行くのか?」
いつもの紫のスーツ姿で佇んでいた弥代と、この原宿の浮かれた原色の景色とのギャップがすごい。
「何かおかしいか?」
「ううん、いや、ここ原宿だし堅いかなって……」
「……そうか」
目的のクレープ屋へ二人は肩を並べて歩き出しつつ、樹の言葉を聴いてふむと顎下に手を当てた弥代は、周囲の店を興味深く見回し始めた。
「少し待っていろ」
「え?」
その中の一つに目星をつけたのか、弥代はストリートファッションを扱う衣料品店に入っていった。言われた通りその店にディスプレイされている奇抜な原宿ウェアを眺めながら待っていると、数分後、全く同じ様な服に身を包んだ弥代が現れて面喰らう。
「ヤシロ!?え、その服」
「これでこの場に相応しいか?」
訊けば、ディスプレイに飾られていたマネキンの衣装をそのまんま上から下まで装飾品に至るまで購入してきたらしい。そう言えば弥代が店を出てくるとき、背後で店員が笑顔で見送っていたな……。
カラフルなネオンカラーのラインが入った黒いブルゾンを羽織り、薄紫から濃紫のグラデーションに染められた麻のシャツの下は、黒のひらひらとした布がアシンメトリーに揺れる長いスカート。ちらりと覗く長い脚にはタイダイ柄のスパッツを履き、足首に銀のアンクレットを輝かせ、靴は黒い鼻緒のビーチサンダル……。
至って普通のジャケットにチノパンの出で立ちの樹の横で、結果として別の意味で物凄く違和感が生まれてしまっているが、当の弥代は満足そうにしている。
「うん……似合ってるよ」
それでも様になってしまうのはさすが一流芸能人の成せる技なのだろうか。
気を取り直して、目的のクレープ・ディアへ再び二人は歩き始めた。

「……何だ?あれは……UFOか」
クレープを食べながら口の中に残り続けるスルメとの格闘をやっと終えると、今度はデミナンバーガー屋の新メニューを目当てに歩く途中、きらびやかな電光と電子音に集まる人だかりに目を向けた弥代がふと立ち止まった。
「ああ、クレーンゲームだよ」
「ゲーム?」
「ゲームセンター、行ったことないのか?」
無い、と云う弥代に、じゃあせっかくだしと樹が店の入り口に並んでいるゲームの筐体前へ誘う。
「あのぶら下がってる爪で中の景品を掴んで取るんだ」
「ほう」
弥代は興味深そうに、じい、と他の客がプレイしている様子を眺めていた。丸い円盤から伸びた三本爪ががっしりと目当てのぬいぐるみを掴み、持ち上げ……たところで、ごろんと元の位置に落下した。
「やってみるか?」
「ふむ」
とりあえずワンクレジットを入れて、弥代にクレーンの操作方法を教える。
「そうそう、その調子」
先程の客と同じく爪は上手く景品を捕えたが、持ち上げるタイミングで同じように真下へ落ちた。
「簡単……ではないな、何かコツがあるのか」
「うーん、しっかり挟めるところを見極めるしかないんじゃないかな」
アドバイスを受け、左右のアクリルケースごしに中を見たりしてチャレンジするも結果は同じ。ややムスっとした顔で弥代は樹を見る。
「お前もやってみろ」
「え? わ、分かった」
選手交代で台の前に立った樹がボタンを押す。ピロピロ…と動くUFO。
「……ここだ!」
パッ、とタイミング良く樹がボタンから手を離すと、グイーンと開いた三本爪が下りていく。その様子を横で食い入るように見つめる弥代。閉じゆく爪は上手くぬいぐるみの胴体の隙間に滑り込み、バランス良く空中に持ち上がる。そして……
ガコン、と大きなぬいぐるみがファンファーレ音と共に穴へ落ちた。
すごーい!といつの間にか樹と弥代の周囲に集まっていたらしき数人のギャラリーから歓声が上がる。ファンファーレを聞き付けたのか、おめでとうございまーす!とゲームセンターの店員も景品を入れるための大きな袋を手にやって来た。
「……なるほど、そこで離すのか……良い手本だった」
「いや、まぐれだよ、まぐれ……ところでこれ……」
取り出し口から出てきた青いリボンを首に巻いたかわいらしい熊のぬいぐるみをどうするか、荷物になってしまったと思いつつ――
「ヤシロ、いる?」
「いいのか」
こういうの、趣味じゃないかもしれないけど……と言いかけ、ビニールのナップサックに入った戦利品の熊を肩にかけて満更でもなさそうな弥代を見て、まあ良いかと樹も微笑んだ。

「はあ、もう結構お腹いっぱいだな……」
あれから目当てのメニューその二、からし納豆ヨーグルトバーガーを食した二人は、口直しと休憩を兼ねて渋谷のセイレーンで野菜と豆のバゲットサンドを齧っていた。最も、弥代は納豆味のハンバーガーに対して満足そうにエクセレントと呟いていたが――
「俺の食レポ、参考になった?まあ、ヤシロは自分で十分満足いきそうなレポできてるみたいだったけど……」
「いや――まだだ」
「は?」
「ここのカフェでも新しいメニューが出ているらしいじゃないか、確かワインケーキ……?」
ああ、あれのことか……と謀らずも考案に一役買った樹が項垂れつつ遠い目をする。
「でもそろそろ夕食の時間だし……どうする」
「俺はまだ納得していない、蒼井樹、このまま俺の家に来い」
「え、弥代の家に!?」
「ああ、テイクアウトして腹が落ち着き次第続きをするぞ」
「い……良いのか?」
「無論だ お前こそ、俺を満足させる食レポが出来るまで今日は帰さんからな」
「はは、またそれか…… 分かった、明日休みだし……受けて立つよ」

カフェの目ぼしいメニューと、ついでにラーメンをテイクアウトした二人は、銀座にあるという弥代宅へ向かった。
道中、樹はTOPICで今日は弥代の家に泊まるということを親に連絡したところ、あっさり承諾を得る。
銀座――と聞いて薄々気付いていたが、高級ブランドと思わしき店が立ち並ぶスタイリッシュな街並みを抜ければ、弥代の行く先には高級タワーマンションが聳え立っていた。
その一つ、まるでホテルのような佇まいのロビーに入ると弥代は何食わぬ顔でコンシェルジュの見守る中オートロックを解錠し、奥にある高階層専用エレベーターで当然のように最上階へ上がる。
ここ、家賃は一体幾らなんだろう、そもそも一人で住んでいるんだよな……。いや、弥代ってまだ未成年だけど……こんなところに住めるものなのか――?と、次から次へ疑問が湧いてくるが、着いた先のフロア全てが俺の家だと告げ、鉄柵のついた玄関扉が開かれた先、玄関を抜けて現れただだっ広いリビングに通されたところで、樹は考えるのを止めた。
「ラーメンは先に食べておくか?」
「う、うん、麺伸びるしな……」
そう言いつつも正直、最上階の窓から眼下に東京湾までを見渡せる夕焼けの景色だけでお腹いっぱいだった。

「食べたな……」
「そうか では腹ごなしに下のジムで運動するか?」
「いやいや、さすがに疲れたよ……」
「ならば湯を沸かしてくる」
「あ、ありがとう」
そう言ってリビングから姿を消した弥代のバイタリティの高さを感じつつ、樹は目の前の机に散らかっている空の容器をビニール袋に詰めて片付けた。しばらくして戻ってきた弥代に案内されるままついていくと、これまた高級ホテルのような大きな洗面台を備えた広い脱衣室と、続きにガラス張りの風呂――スタイリッシュな黒い大理石が敷かれた――があった。棚にはリネン類と、この間弥代に貸した樹のルームウェアがきっちりと畳まれた状態で藤製の脱衣籠と共に置かれている。
本当に、住む世界が違うなと思いながらも、樹はおずおずと服を脱ぐとガラス戸をくぐった。
シャワーを浴びていると、ふと、すぐ隣の脱衣場に弥代の姿が見える。一瞬ぎょっとするが、まあ男同士だし、そもそもここは弥代の家だし……と思ったところで、その場で普通に服を脱いで全裸で風呂内へ入ってきた弥代に樹は面食らった。
「えっ、ヤシロ……!」
「どうした? ここを捻れば止まるぞ」
「いやそうじゃなくて……!!」
慌てる樹に眼前の弥代は疑問の表情を浮かべている。
「俺が入ってはまずかったか?」
「……う、あ、いや……びっくりしただけ」
そうか、と元の何食わぬ顔に戻った弥代は樹の手にあるシャワーヘッドへ手を伸ばす。促されるまま手渡すと、壁の固定具にセットして頭から湯を浴び始める。
シャンプー、リンス、コンディショナー、そしてボディソープとフェイシャル類…カウンターの上にきちんと並んでいて、そういうところはさすが芸能人、しっかりしてるんだな……と少し感心しつつ――正直パッと見ただけでは違いがよく分からなかったが、弥代が使っている様子を見ながら同じように使わせてもらう。手に出したそれらはびっくりするほど上質で繊細な花の良い香りがして、こうやって一流芸能人は作られてるんだなと洗髪を終えて長い前髪を後ろに流した弥代を背後から見る。
細身の身体にしっかりと筋肉の隆起があって、まさに男の理想みたいな身体に、やけに白い肌色と細っこい腰が女性的というか……あと脚が長い。背も高いから必然的にそうなるんだろうか、いやそれにしても長い……と至って標準体験の枠にいる自分の体型と見比べてしまう。あとは……。
脚を眺めていたところでくるりと弥代が樹の方に身体を向けたので、まともに前側を見てしまう。一瞬、え、と驚いて凝視してしまったが――そこにあるはずの毛……陰毛が見当たらない。この前ベッドの上で弥代のモノを握って慰めた時に存在感がないなと思っていたが、まさか全く生えてないとは思ってもいなかった。
「何だ」
「あ、ごめん……ヤシロってそういう体質?なのか……?」
「体質?」
「その……下の毛、生えてないからびっくりして」
「ああ……必要ないからな 処理している」
「そうなのか……すごいな」
すごいと言えば……やっぱりすごく、自分のモノと比べて……大きい。性器が。
地の肌色が白いから余計にそう思うのかもしれないが、とりあえず羨ましいと思ってしまう。
「そんなに俺の身体に興味があるのか?や
「えっ、あっ、ごめん、つい見ちゃって」
「見たければいくらでも魅せてやろう」
「そういう事じゃなくて……!」
怒っているのかからかっているのか何なのか、よく分からないがとにかく弥代が自信たっぷりに樹の正面に仁王立ちするので、いよいよ目のやり場に困ってしまう。
「ちょ、ちょっとトイレ行きたくなってきたから一旦出ていいか?」
「ああ、すぐ向かいにあるぞ」
これ以上弥代の裸を見ていると変な気分になりそうだったので、樹は慌ててトイレへ逃げた。

再びシャワーブースに戻ると既に弥代の姿はなく、後を追うべくザッと身体を洗い終えた樹がリビングへ戻ると、白いバスローブ姿でゆったりと長いソファに腰掛ける弥代が居た。
「お待たせ」
ああ、と振り向いた弥代の手にはカフェでテイクアウトしてきたドリンクが握られている。
「それ、味……どう?」
「………紫蘇の爽やかな風味の中に唐辛子のエキスがまるで火花を散らすような刺激的なアクセントをきかせている――これは、口の中で繰り広げられる決闘……!」
「さすがだな……よし俺も――」
と意気込んだところで、机に残っているのがあのわさびケーキだというのを思い出して樹はやや後悔した。

熱の入った食レポ大会の後、弥代が次に出演するというマスカレイダー雷牙のシリーズBlu-rayを鑑賞しているうちに、すっかり時刻はあと一時間で日が変わる位になっていた。
流石に目がショボショボするなと擦っていると、そろそろ寝るかと弥代から声がかかる。
「うん……」
洗面所へ立った弥代と並んで歯磨きをする。口を濯いで、白いバスローブから濃紺の寝間着に着替えた弥代についていくと、寝室に通された。
中央に大きなベッドが置かれ、天井の間接照明が上質なムードを醸しつつ、奥に引かれた長い黒のカーテンがシックな部屋。
「ここは……弥代がいつも寝てる部屋なのか?」
「ああ」
「じゃあ俺はさっきのソファでいいよ」
「何故だ」
遠慮がちにそう告げる樹の手首を弥代が引く。
「俺は――また樹と同衾したい」
「え」
「最近――また良く眠れない――だが、お前となら……上手く眠れる気がするのだ」
樹を見据えてそう告白する弥代の思いを無碍には出来ないと察知した樹は、分かったとベッドへ上がった。
とにかく広いそのベッドは、樹と弥代が並んで横になってもまだ左右にゆとりがある。
……にも関わらず、弥代は樹の肩口にすり寄るように身を横たえてきた。
絹糸のように細い弥代の髪から、良い匂いがする。
それを言うと樹も心地良い香りがすると言ってますます頭を寄せ、すう、と頬に弥代の吐息がかかる。
「ヤシロ、ちょっと……近くないか」
慌てて顔を離した樹に、俺に触れられるのは嫌なのかと眉を下げた弥代の悲しそうな声が返ってくる。
「そんなことないよ……でも……!」
同じベッドで、肩を寄せあって、このままだとまた以前のように友達の一線を超えてしまうのでは、と樹は危惧していた。
「俺は構わない」
「ヤシロ………」
「イツキと……ずっとこうしていたい」
弥代の白い頬が仄かに赤く上気しているのはさっき飲んだ紊敏ソトウのせいだろうか、それとも……と思案する樹をよそに、伸ばされた弥代の手が樹の肩を引き寄せ、薄い寝間着越しに二人は肌を触れ合わせる。
血の通わないようにクールな表情の弥代がこんなにも熱く火照った身体をしているのに気付いて、樹も段々と鼓動が早くなるのを感じていた。
「お前が以前、俺の……性器に触れてから、時折――俺の中に制御できない熱が燻るようになった」
どうすればいい、と訊く弥代の下半身は既に絹の寝間着を押し上げて、樹の腿に押し付けられていた。その昂りを、あやすように撫でる。
「分かった……責任は、取るよ」
改めて弥代に向き直ると、樹は弥代のパジャマのズボンと下着とを下げる。布地の中から勢い良く飛び出てきた熱い肉棒を優しく握ると、弥代も軽く脚を開いて樹に身を預けた。
ややしっとりとした感触のそれを、括れに指を巻いて上下に扱く。
「……ぅ、ア………」
しゅるしゅると滑らかな手の動きに、弥代は低く呻きながら樹へ身を預けるように寄せてしなだれかかっていた。熱い吐息がかかる距離で、樹はじっと弥代を見つめる。
「気持ちいい……?」
問いに、首を縦に振って応える弥代もまた、眉根を潜めつつ樹が手にした己の肉棒を規則的に握り扱く様を見ていた。
ハァ、ハァと息を上げる弥代に、無機質だったはずのベッドルームは徐々に空気を変えて、暖色の光に照らされた灰色のシーツの上で濃密な空間を演出していた。
弥代がガクガクと腰を揺らし始めたのを認めて、イきそうなんだなと察する。
「出して良いよ……」
「――ーッ!……ァ、――ーッッ!」
その声を合図に、樹の手の中で弥代が達した。前と同じように呆気ないくらいに素直に、白く濁った快楽を吐き出した弥代がひとつ、大きく息を吐く。
「俺ばかりでは……対等ではない……」
「えっ?」
「お前にも俺と同じように――気持ち良くなって欲しい」
「い、良いのか? じゃあ……」
提案を受けて弥代に愛撫してもらうべく、樹もルームウェアの前を寛げてペニスを取り出す。
「っ……あんまり見ないでくれ……」
樹はそう言うが、弥代は興味を抑えきれずどんどんペニスへ顔を近づけていく。
「あ、もう……出そう、だからっ……ヤシロ……!」
「……構わん」
「ウッ、ァ、――ーッ!」
やがて射精した樹の精液が勢いよく弥代の顔に散らばっていく。やってしまったと、平常心を取り戻した樹が慌てて弥代を伺うが、口の端に垂れた一筋のそれを舐めた弥代は、エクセレント……と呟いて恍惚の表情をしている。
「いや、不味いだろ……!」
食レポし始める弥代にツッコミつつ、慌ててティッシュを探す。
「……綺麗にしてやろう」
と、弥代は今まで握っていた樹のペニスをついに口に入れてしまった。
「うわっ!だ、駄目だっ!!」
ぬめる熱い舌の感触に驚愕して、樹は腰を引いて弥代から逃れた。
「………何故だ?」
面と向かって樹に駄目だと止められたせいか、弥代は眉を下げている。
「そういうのは……ちゃんとしてからにしよう」
「ちゃんと?何だ?」
「こ、恋人同士……じゃないと……」
「ならば俺を樹の恋人にしてくれ」
「!??」
言った弥代もその言葉の意味が分かっているのか分かっていないのか、判断できない
「――弥代を、俺の恋人に……?」
「今すぐにとは言わない、考える時間が必要ならば待つ」
「分かった……」
 突然の弥代の告白に胸がざわめく。と同時に、感じたことの無い高らかな心地がした。それは例えるなら、微かな期待に近い。弥代が本当に、自分を求めてくれているのだということ。本来なら手の届かないような、出会うことすら無かった彼がいま、もうこんなにも樹に近いところまで心を寄せているという、事実に。
 乱れた寝間着を直して消灯した後も、樹はそんなことを考えていた。愚直なほど純粋に自らを律し、常に芸能のことだけに目を向けていた弥代が、唯一心を開いて歩み寄ろうとした切っ掛けが自分であることは明白である。
 だが、それは本当にこんな短期間で恋人になりたいと思うほどの好意となり得るのだろうか? 友人としての親愛を、性欲処理をし合うという友人の枠を越えた行為によって、弥代が恋愛とはき違えている可能性はないのだろうか?
 悶々とした思いを巡らせる樹を余所に、すぐに寝てしまった弥代の綺麗な横顔を見ながら、樹もやがて目を閉じる。
 樹自身、このまま弥代を恋人という特別な存在にしたい気持ちと、それが本当に自分で良いのかという戸惑いがあった。

(あれ……? もう朝なのか……?)
 気付けばふかふかのベッドの心地良さに負けたのか、すっかり寝入っていた樹は横にいたはずの弥代の姿が無いことに気付く。
 微かに聞こえる鳥の声、やっと完全に覚醒した樹がそろそろとリビングへ向かうと、パンの焼ける良い香りが鼻腔をくすぐった。
 リビングの続きにあるダイニングキッチンにあるカンターを挟んだところに、パリッと糊のきいた白シャツにカフェエプロンを巻いた姿の弥代が立って調理をしている。
「起きたか」
「あ、ああ……ヤシロは? 眠れたか?」
「うむ」
 短く応える弥代の手に握るフライパンから、黄金色の卵の塊が跳ねる。朝食だ、座れと促す弥代に言われるままダイニングへ腰掛けると、焼きたてのオムレツにサラダボウル、一口大に切ったバケットが並ぶ。それら全てを弥代が作ったことに、樹は驚いてぽかんと口を開けた。
「すごいな、ヤシロ……」
 誉める樹に、卵一つとっても火加減が難しい、まだまだだと弥代は言って、黙々と調理器具を洗っていた。洗い終えると、樹の向かいに腰掛け、ブラックコーヒーを傾ける。
「味はどうだ?」
「ふわっふわな卵に溶けたバターの風味が香しい、なんてリッチなオムレツ……皆が憧れる高嶺の花を俺は今、食している……そんな幸せを噛み締めてるよ」
「ふむ、まずまずといったところか」
 柔らかく微笑むと、テーブル横に置いていた台本と思われる本をパラパラとめくり、いつもの無表情な顔をしている弥代を横目に、樹は出された朝食を平らげた。
「……今日も仕事?」
「無論だ。お前のおかげで昨夜は睡眠がよく取れて調子が良い。この機会を逃すはずがないだろう」
「はは、それは何より」
 これ以上この家に居ても弥代の邪魔にしかならないと感じた樹は、支度を済ませたら帰宅する旨を伝えた。
「……今度、ダンスのステップを見てやろう。お前もエンタキングダムのフェスへ可能な限り出演し、研鑽を積むべきだ」
「ああ、その時は頼むよ」
 エントランスに降り、樹を見送る弥代が不適に微笑む。昨夜とは打って変わってすっかり元の調子を取り戻し、さらに樹に微笑みかける弥代の姿を見られたことが樹も嬉しかった。今夜はまた、大東テレビでミュージカルフェスの演目に出演するという……。
 こんなに芸能にひたむきな弥代が、昨夜の言葉を冗談で言ったとは思えない――。
 そう確信した樹もまた、弥代と恋人として付き合うかどうかを真剣に考えることにした。

 眩しく照り注ぐ朝の光が目にしみる。
 青い空に残る薄雲の中には、まだ白い月が浮かんでいた。



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#イツヤシ  #sleepover

sleepover 第一話 樹の家にお泊まり編

イツヤシお泊まりシリーズその1
まだ友達以上恋人未満なイツヤシ


 ガタン――ゴトン――

 規則正しい車体の揺れを感じながら、弥代は電車の乗降口近くの壁際に身を寄せて佇んでいた。スタイリッシュな銀のアタッシュケースを携え、いつもの紫スーツに黒の革靴の出で立ち。縦長の窓からは薄雲に被る夕日がじんわりと差し、伏せた長い睫毛の影を白い頬に落としている。それはこんな帰宅ラッシュを控えた電車の中ですら傍から見れば絵になる姿であったが、そのオーラを黙して消している彼が今話題の連ドラ『季節外れのUFO』の主役であることに、結果として周囲の誰も気付いていないのであった。
 キキ……と車輪が擦れる音と共に電車がホームに入ったのか、速度を落としたのを感じた弥代は薄く目を開けた。
 程なくしてすぐ横の観音扉が開く。
 と、そこにはよく知った顔があった。
 「あれ、ヤシロ!?」
 「蒼井樹」
 弥代に気づいた学生服姿の樹が、珍しいものを見たとばかりに黒目を開いて驚きの声を発する。
 そこそこに車内へ進み入る人並みに押されながらも、樹は、すいと弥代の隣へ身を寄せた。
 「びっくりした……まさかヤシロと会うなんて思わなかったよ。というか……ー人で電車乗れたんだな。」
 「付き人が居なくなったからな。普段の移動はほとんどタクシーだが、役の探索のため乗ることもある」
 「そ、そうなのか」
 「ああ」
 腕を組みいつもの一流論を説く弥代に、制服で肩を並べる樹は素直に感心していた。
 弥代の言う探索が只の迷子ではないのかという客観的視点はともかく。
 「蒼井樹は、これから帰宅するのか」
 「うん。……ヤシロは?」
 「俺はこれから夕食の材料を買って帰る」
 「そっか、自分で作るのか……」
 以前の食レポ体験を経て、最近は料理に凝り出したと事務所メンバーが取材を受けた雑誌に記してあったのを覚えていた樹は、しかし腕のデジタル時計が午後六時を過ぎているのが目に入り、再び弥代に問いかけた。
 「なあヤシロ、良かったらうちで食べて行かないか?」
 「蒼井樹の、家でか?」
 「明日もこの近くで撮影あるなら、良かったら泊まっていってくれてもいいし……俺の家、次の駅下りてすぐだから」
 そう言ってから、夕飯の誘いだけならまだしも弥代相手にいきなり泊まっていけというのは気安すぎたかと思ったが、弥代は真顔のまま、特に動揺した素振りはない。
 黒い革手袋を顎下に当て暫し考えた後、弥代は再び口を開いた。
 「……分かった。お前の言葉に甘えよう」





 夕閣に薄暗さを増す住宅街の一角で、二人は歩みを止めた。何の変哲もない二階建ての家は、樹にここだよ、と言われなければ通り過ぎてしまうようなありふれた集合住宅の出で立ちだったが、弥代は特に気にする様子もなくインターフォンを鳴らして門柱を潜った樹に続く。
 すぐに光の灯った玄関の扉が解錠されると、樹の母親が二人を出迎えた。
 「ただいま母さん、あの……」
 あらかじめ弥代が訪れることはtopicで知らせてあったが、改めて紹介しようと樹が後ろを振り返った時。
 「初めまして、同じ事務所の剣弥代です。蒼井樹くんとは、いつも仲良くさせて貰っています」
 弥代の顔に貼り付いたとびきりの営業スマイルと明るい声色に樹は面食らい、対する母親はあらあらこちらこそと頼を押さえて礼を返す。――ウチで良ければゆっくりしていって頂戴。樹、失礼のないようにね――と、足早に合所へ去る母親の態度は、完全に友人で はなく先輩俳優『剣弥代』を迎え入れるそれになっていた。

 (びっくりした……)
 二階の自室へ辿り着いた樹が学習机に荷物を下ろす。後ろの弥代の表情をちらと伺うと、もうすっかりいつもの無表情に戻っていたので少しホッとした。
 「ここがお前の部屋か、蒼井樹」
 「うん。狭いけどガマンしてくれ」
 「………。」
 荷物片手に佇む弥代は色の違う両の瞳で、物珍しそうに部屋の中を眺めている。小さな窓の横には爽やかな水色の寝具を纏ったシングルベッド。濃青っぼい色のラグの上に小さなテーブルがひとつ。壁際には学習机とスチール製の物置棚が並んでいるが、母親が入って少し片付けたのだろうか。ゴミ箱はさちんと空になっているし、机に置きっ放しだったパズル雑誌は棚に戻されていて、部屋はいつもよりこざっぱりしていた。
 「先に風呂入る?」
 「……ああ」
 樹がそう促すと、弥代はようやく手持ちのアタツシュケースを部屋の隅に置いた。

 一階に戻りシステムバスユニットの使い方を弥代にひと通り伝えると、樹はリビングで夕飯の支度を軽く手伝いつつ、そういえば弥代が何も持たずに風呂場へ入っていったのに気付いた。クローゼットから適当なリネン類と自分のルームウェアを見繕い、脱衣所にそれを置きに行こうと扉を開けたとごろで、カラリと音がする。
 は、と前を向けばシャワーを浴び終わって湯けむりと共に浴室から顔を出した弥代とバッチリ目が合った。
 「ヤ、ヤシロ! これ、夕オル」
 「すまない」
 濡れそぼった黒い毛先からがポタポタと白い肌に滑り落ちていき、その伝う先にあるほんのりと色づいた突起を目にしてしまった樹は慌てて目を逸らした。いや 男同士だから別に見てもいいはずなのだが、何散か照れてしまった。
 「あと着替え……俺ので良かったら」
 そう言いながら持ってきた自分の服とタオルー式を出口近くの洗躍機の上に急ぎ置くと、樹は脱衣所を後にした。
 「上がったぞ」
 程なくしてリビングに現れたのは濃紺のスウエットを身に纏った弥代だった……が。
 (手足の丈、足りてないな……)
 自分の着丈の服を弥代が着ればどうなるか、少し想像すれば分かることではあったが、悲しくもそれが現実だった。最も、腹周りのサイズに問題はないため着ている弥代があまり気にしていなさそうなのが救いか。
 「あ……えっと、母さんがごはん作ってくれたから食ベよう」
 「ああ。有り難く頂載する」
 寸足らずな袖から伸びる手首と足首。いつも黒の皮手袋で覆われていて滅多に見ることのない手の、著を持つ長い指の白さに時折目を奪われながら樹は味噌汁を流し込んだ。





 「もうこんな時間か」
 夕食を終え自室に戻ってから、今度は自分の風呂と 明日の予習復習をこなし――気付けば時計は十を指している。その間部屋で共に居る弥代はずっとドラマの台本を読んでいたようだった。
 「ベッド、ヤシロー人で使っていいよ。俺床で寝るから」
 「俺は床で構わない」
 「ヤシロ、明日も仕事だろ?俺は学校だけだし、身体休めないと」
 事務所――フォルトナ=エンタテイメントの在籍期間でいえば樹の方が長いが、かたや芸能の世界では一流、そして自分より年上の弥代を床で雑魚寝させたとあらば、さすがに舞子社長にドヤされるに違いない。
 いいからと学習机から立ち上がった樹は床に腰を落とした。
 「……ならば、一緒に寝るか?」
 「えっ?」
 ローデスク越しに座る弥代から出た思いもよらない発言に、本気で言ってるのか?と前を向けば、鋭く真っ直くな瞳が大真面目にこちらを見つめている。
 「いや、別にいいよ!」
 「お前も学業に支障をきたしては良くないだろう」
 「それは……そうだけど」
 弥代の言うことは正論だ。しかし、男二人でお世辞にも広いとはいえないベッドで共寝するのは常識的にどうなのか。否、無いな……と思案して再び顔を上げた樹に、変わらぬ弥代の視線が刺さる。
 「ならば、問題ない」
 「う、うん……」
 自信満々に言い放つその態度に、ここは俺の部屋なんだぞと思いながらも、樹はついつい生返事をしてしまった。

 
 (案外狭苦しくはない、な……?ヤシロ、細いからか……)
 寝支度を整え、ついさっき二人してベッドに横たわったばかり。自分の頭のすく横に落ちる弥代の髪の毛から、うちの家のシャンプーの香りがする。ベッドに備わった小さなランプで照らされている艶のある紫がかった黒に、一筋の白い毛束がきらきらと流れているのが不思議で自然と目が吸い寄せられた。
 と、視線に気づいた弥代がちらと樹の方を同う。
 目が合って改めてその存在の近さに狼狙える。弥代にこんなにも物理的に近付くこと自体、初めてだった。
 「……あ、お、おやすみ」
 「ああ」
 僅かに弥代の薄い唇が動き、にこりと笑った……ような気がした。無理に作られたようでないので、弥代もこの状態は不快ではないのだろうか。
 ともあれ、どくりと打った鼓動を隠すように樹は弥代に背を向けると、ランプのスイッチを手探りでOFFにし、目を閉じた。

 「………う……ぅ……」
 暗閣の中、ふと、背後から聞こえる呻くような荒い息遣いに、眠ったばかりの樹はうとうとと目を覚ました。
 「どうしたんだ……?」
 パチ、と再びベッドランプを灯してみれば、横で寝る弥代が壁際に向かって身体を丸く縮こめている。
 「ヤシロ?大文夫か……?」
 そっと背中に手を添えてみると、綿のスウェットシャツがしっとりとして、その上に覗く白い首筋には汗が消り落ちていた。
 熱があるのかと思って手を伸ばし触れた弥代の額は、逆に驚くほどつめたく冷えきっていた。
 「ッ……父さん……J
 はあはあと上下する呼吸に、苦しげにそう弥代が眩いたのでハッとした。弥代の父親は、確か……。
 (悪い夢を見てるんだな……)
 悪夢に魘される弥代を放っておけず、そっと背中をさするうち、だんだんと苦しげな呼吸が収まってくる。
 優しい手の感触に気づいた弥代が、それを確かめるように樹の方へ顔を向けた。
 「ヤシロ……」
 「……あ、お……イツ……キ……?」
 うっすら涙の惨んだ深藍と碧の瞳が薄く開き、樹を映す。
 「大丈夫、俺が側にいるから、安心して」
 シーツを握ったまま固く結ばれていた弥代の手に、樹の手が重なる。まだ冷たい閣の中を彷徨う弥代は、しかしその温もりに気付くとぎゅっと樹の手を握り返した。
 「……ッ……」
 指先から伝わる暖かさにいくらか安堵したように 弥代の呼吸が整っていく。初めは継るようにして繋がれていた指も、だんだんと力が抜けてきた。
 事件から五年――未だ、父親の夢を見て魘されるほどなのかと、樹は弥代のいる境遇をまざまざと突き付けられた気分だった。
 ガーネフの悪夢に囚われて以来、この氷のように冷たい手を握る者は果たして居たのだろうか。否、弥代は言っていた。他者と合わせる必要などない、時間の無駄だ、と……。
 唯一側にいたであろうミラージュのナバールは、この世界で彼に触れることは出来ない。
 (五年間ずっと、独りで苦しんでたんだな……ヤシロ……)





 薄青のカーテンから朝日が差し込むと、目覚ましのアラームも鳴らない内に樹は覚醒した。
 横を向けば、寝る前と変わらず弥代が規則正しい寝息を立てている。良かった、あの後ちやんと眠れたのかと胸を撫で下ろしつつ、樹は改めて弥代をまじまじと眺めた。
 (俺と一歳しか変わらないのに……ほんと、手足長い……)
 すぐ隣で比べるから余計にそう感じるのかもしれないが、薄い毛布が被さっている上からでもスラリと伸びた手足、恵まれた体駆。俺もまだ伸びるかなと腕を伸ばしつつ見比べていると、ある部分に目が止まる。
(あれ、弥代……)
 毛布の中心が不自然に押し上げられている。つまり それは……。同じ男として、覚えがある状態だった。
 「……蒼井、樹……?」
 無遠慮に下腹部を注視しているところで不意に弥代が目を覚ましたため、樹は慌てて身を背けた。
 「あ……!いや、それ」
 「……?」
  指で指し示された方を向いて、弥代も自身の身体の変化に気づいたようだった。
 「硬くなっているな……生理現象だ」
 そうは言うものの、流石の弥代も差恥を感じたのか所在無げに樹から顔を背けている。弥代が上体を起こしたことで露わになった寸足らずの上衣から、肢しいほどに白い脇腹が覗いている。下着はまさか、身につけていないのだろうか。
 このまま自分がこれ以上構わずにいたら弥代はどうするのだろうか。トイレへ……或いはこの場で……自らの手で、その白く長い指でもって、処理をするのだろうか?
 「……お前なら、どうする」
 「え?」
 気が動転し、ぐるぐると頭を巡り出した勝手な想像が弥代の声に遮られる。
 「この様な状態になった時……ー人でどう鎮めているのかと聞いたのだ」
 弥代は純粋な興味で聞いているのだろう。だが、樹はもうそれが弥代からの誘い文句の他に聞こえなかった。
 「……えと……じゃあ、任せて」
 「?」
 するりとズボンの中に手を滑り込ませれば、弥代の 硬くなったそれが想像通り、直に指先に触れた。熱い。
 「んぁっ……!?」
 思わぬ刺激に弥代が声を荒げたため、慌てて樹は反対の手で弥代の口を塞いだ。
 「しーっ……部屋、壁薄いから」
 「ッ………」
 樹の意図を察したのか、押し黙る弥代はそれ以上抵抗する素振りを見せなかった。
 しばらく息を潜めていきり立つ弥代の熱を手のひらにじんわりと感じながら、指を筋に沿ってやわやわと動かしてやる。弥代は声さえ上げないが、フウフウと口を押さえている長い指の隙間から漏れ出る息遣いが 増していく。
 樹は手をゆるく動かしながら弥代の顔を伺った。嫌悪しているようならすぐにやめるつもりだった。が、ただ……気持ち良さからなのか困ったような、苦しげにひそめた眉、ズボンの中を訴る樹の手の動きを布越しに見据えていた切れ長の瞳が、細まり、ついに 閉じられる。
 熱い吐息が吐き出されるとともに、震える長い下睫毛。
 その色香にあてられた樹はもう、後には引けなかった。手のひらの中の熱を解放する――それが、自分の心臓 と同じリズムでドクドクと脈打っているような錯覚さえ引き起こす。当たり前だ、弥代の熱い昂ぶりを握りしめているのだから。
 何となく指先に触れる湿り気が強くなった気がして それがついにズボンの中で捕らえた小動物の鼻先のようにひくひくと震え出したのを機に、勢いに任せて責めめ立てる。
 「ッ……!ふ……」 
 苦しげに眉根を寄せる弥代に、このまま、出していいよと耳打ちする。
 「ンッ……!」
 その瞬間、弥代はぶるりと震えると、樹の手の中に出精した。
 もたれかかった身体が重くなると、樹はそっとシーツの上に弥代の上体を預けた。そして手のひらに出されたそれを零さないようにズボンの中から取り出し、ティッシュで拭う。
 「イツ……キ……」
 「……ごめん、窓開けるから」
 慌ててベッド脇の窓を開け放てば、さっきまでの籠った熱気に漂う草いきれのような香りが、朝の冷たく爽やかな風に吹き飛ばされていく。

 ――今、名前で呼んだ?

 「ふん……スッキリしたぞ」
 「そ、そっか」
 さっきまでしていた己の行為を思うとまともに弥代の顔が見れずに言い澱む樹を尻目に、弥代はすっくと立ち上がると、手持ちのアタッシュケースを開け、着てきた紫のスーツではなくきちんと仕舞われていた制服の衣装に着替え始める。
 「あ、俺のTシャツあるけど……」
 「遠慮しておく、返す都合が無い」
 (そ、それもそうか)
 素肌の背中にブラウスを羽織る弥代を見ながら、樹は先程から気になっていた事を思い切って聞いてみた。
 「あのさ、パンツは……」
 「シルエットが悪くなるからな。それも要らん」
 (じゃあ、ヤシロ、ノーパンで行くのか……!?)
 固まる樹に、フ、と弥代は悪戯ぼく笑ってみせた。
 「道すがら調達するから問題ない。それより化粧水を貸せ。洗顔してくる」
 「え、ちょ、ちょっと待って……確か洗面所に置いてあったはず……」
 あたふたと先に部屋を出た弥代を追いかける。弥代は今、ノーパンなんだぞ、などという訳の分からない理由で。
 しかしその事実を他の誰にも知られたくないと、樹は思っていた。

 樹に借りた化粧水をコットンにたっぷりと浸しながら弥代が洗面台の前に立つと、それを手慣れた様子で顔に満遍なく貼り付けていく。
 「お前もタレントを志すなら、肌の手入れに気を付けろ。カメラがどれだけ寄っても対応できるようにな」
 「うん……分かった。気をつけるよ」
 隣で興味深そうに見ていた樹に弥代が指南する。確かに弥代の肌は近づけば近づくほど、きめ細やかで美しい。そして、あの吸い付くような感触。
 「うわっ」
 また火照りだした頼にひやりとした弥代の指が触れて、驚いた樹が顔を上げる。
 「お前も元は悪くないのだからな。やってみろ」
 「あ、わ……分かった」
 そうしているうち、リビングから朝食の声がかかった。





 (まさか弥代と一緒に登校する日が来るなんてな……)
 隣を歩く弥代を、樹はまぶしそうに見つめた。
 「そう言えば、ヤシロって学校は?高校……は、行ってないのか」
「ああ。芸の道を極めるには、必要ではなかったからな。……だが」
 「?」
 「イツキとこうやって肩を並べて歩くのは、悪い気がしない」
 そう言うと満足げに微笑む弥代の笑顔の屈託の無さを目にして、樹ははっとした。これまでずっと離れた存在のように感じていた弥代が、自分と同じ年相応に見える。
 ……いや、一応、弥代は自分よりーつ年上で、身長も十センチは高いのだが……それでも。
 「……ふふ、俺もヤシロとこうやって通学してみたかったかも。ちよっと目立つかもしれないけどな」
 「何故だ?」
 「いや、背が……」
 「赤城斗馬も同じくらいあるだろう」
 「うーん……いや、何ていうか、オーラの違いかな」
 「?」
 またいつもの真顔に戻った弥代が首を傾げている。
 「おーい!イツキー!」
 「あ、噂をすれば」
 振り返れば、斗馬が手を振りながら駆け寄ってくるのが見える。
 「って!何で横にヤシロが居るんだよ!?しかも制服??」
 「イツキの家に一泊したからな」
 「!!」
 さらりとそう言ってのけた弥代に斗馬は唖然とする。
 「え、泊まっ……?お前ら……いつの間にそんな関係に……!?」
 「いや、ヤシロと昨日の帰りに偶然電車で会ってさ……」
  苦笑しながら樹がフォローを入れ、この話は他愛も無く終わるはずだったのだが。
 「別に夕食後にタクシーで帰っても良かったんだが」
 「! ヤシロ……?」
 「イツキがどうしてもと言うから」
 はっとする樹に、顔を見合わせた弥代が悪戯っぼい笑みをたたえていて、一瞬時が止まる。
 「……そうか……。昨晩は二人共、お楽しみだったようで_」
 「いや!何もしてな……」
 「いやいやいや、前とヤシロが昨晩?!何かあったらダメだろ!」
 「トウマ!!」
 大怒裂に驚いてみせる斗馬になぜか腹が立ち、声を荒げたところで、横を歩いていた弥代が立ち止まった。
 「俺はこっちだ……イツキ」
 「!」
 気づけばもう駅まで来てしまっていたらしい。
 「感謝する。お前のおかげで、久しぶりによく眠れた」
 「……あ、ああ……。俺も、ヤシロが家に来てくれて……楽しかった。えっと、良かったらまた遊びに来てくれ」
 「……フ、時間があればまた、考えておく」
 イツキの両親にも世話になった、と伝えながら樹に向けられた笑顔は、とても自然で、柔らかい。
 「ではな」
 そう言って弥代は軽く右手を上げると、隣のホームへと立ち去っていった。 樹も、その後ろ姿を笑顔で見送る。

 「あのー……、やっばり何かあっただろ、お前ら」
 「気のせいだろ」
 「ヤシロのあんな顔初めて見たぞ」
 「……そうか?」

 ホームに出て電車を待つ間見上げた青空には、白く長い飛行機雲が一筋。
 珍しくそれは、樹の目を長く引きとめていた。

 next

イツキくんの家にお泊まりするヤシロが書きたかった。
手足長くて芳しい一個上のお兄さんが自分のベッドで一夜を明かしていたら、そりゃあイツキくんも理性を失いますよね、と信じて

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#イツヤシ #sleepover -友達以上恋人未満シリーズ-

ヤシロへの愛が暴走しがちなパパヤシSS

※親臣が子ども弥代に暴力を振るいます
※弥代と母親は当然のように死別の設定です


「……どうした?親臣」
「………。」
弥代が樹と肩を並べてイドラスフィアを去っていく姿を虚空から認めた後、微動だにしないマスターの姿に黒髪のミラージュが声をかける。
「っ……いかんな……歳を経てこうも涙腺が緩むとは」
「五年ぶりの息子との再会だったのだから、感極まるのも無理はないと思うが」
「ヤシロ……」
ず、と鼻を啜る初老の紳士ーー稀代の名俳優、剣親臣も弥代が去った後はひとりの親の顔をしていた。肉体を失った彼はもう現世に戻ることは叶わない。いずれこうなることを承知の上、ロンクーは親臣の魂をイドラスフィアに繋ぎ止めていた。
「……心残りがないと言えば嘘になる。私は……あの公演で初めて、ヤシロと同じ銀幕の舞台に立つ筈だった。その為に、……厳しい稽古をつけた」
親臣は知っていた。弥代がこの世に生を受けたときからーーこの子は自分を超える才能を秘めている存在だ、と。
産声を上げる愛しき我が子にまず誰よりも魅了されたのは、他の誰でもない、親臣自身だった。

「ヤシロ!ヤシロ……!!聞いているのか!!さっきの台詞だ……もう一度、感情を乗せて言い直せ!!」
「父さん……」
ある時、珍しく日が落ちる前に帰宅した親臣は弥代に稽古をつけてやろうと誘い、弥代も最初は喜んで台本を手にレッスンに臨んだ。弥代が物心つく前から親臣は弥代を自らと同じ芸能事務所に所属させ、既にスーパースターの地位を確率していた剣親臣の息子ーーという箔もあり、弥代は子役として着々と芸能活動を生活の基盤として成長していた。
親臣の思惑通り我が子の才覚は凄まじく、今年で十歳になろうとする弥代は赤ちゃんモデルやドラマの端役から始まり矢継ぎ早に芸歴を重ね、既に有名放送局の朝ドラマで名前のある子役として毎日のようにスタジオへ出入りする日々を送っていた。撮影のない日は歌唱、ピアノ、ダンスのレッスンーー義務教育もそこそこに、(尤も、弥代の通う学校は芸能人御用達の名門エスカレーター式小中一貫校で、周囲から理解は十分得ていた)芸能活動中心の暮らし、それが弥代の普通であり、親臣もそうだった。今や国内外を問わず活動をする親臣が家にまともに帰ること事態、一週間に一度あるかないか……。ドラマの撮影とあれば地方へ何ヵ月もロケ隊と共に赴き、かと思えば海外へ撮影のために出張撮影、帰国すれば所属事務所によって舞台公演のスケジュールがぎっちりと組まれている……それがこの親子の普通の生活だった。
だから幼い頃の弥代は、親臣が高級タワーマンションのワンフロアを占めるこの自宅に帰宅したとあればとみに喜んだ。明くる朝、父がまた仕事に出ようとすれば離れたくないと足に泣き縋る弥代を、親臣は一層愛しんだ。可能な限り、親臣は自分の撮影所へ弥代を連れて行き、現場で生の演技を見せ、楽屋で台本を読み聞かせながら弥代に文字を教えた。

「……嫌だ」
「何だって」
いつも親臣の熱のこもった演技指導を泣きそうになりながらも歯をくいしばってこなしていた弥代が、そんな弥代が、今日は父にそっぽを向いてそう言った。
バン!と親臣は手にしていた台本を書斎机に叩き付ける。びくりと身をすくませた弥代はーーだが……親臣の方を向こうとしなかった。
「もう嫌だ……今日は……せっかく父さんが早く帰ってきたのに……もう、寝る時間になってる」
「ヤシロ」
「ずうっと……同じ台詞ばかり、読んでる」
「それはお前の感情が台詞に乗っていないからだ、読むのではない、いつも言って……」
親臣の言葉は弥代の中を滑り落ちていくようにまるで伝わっていない様子だった。
「……分からないのか?ここはな、お前の役の少年が母親のために自分の小遣いで買ってきた花を贈る、この回で一番の見せ所なんだ、いつもありがとう、は母への感謝の感情と、気恥ずかしさを含めて……」
「そんなの、分からない!!俺には父さんしかいないのに!!」
「ッ……!ヤシロ……」
「父さんだって……いつも、俺が起きたら居ないじゃないか、最近、一緒に現場へ連れてってもくれないじゃないか」
「それは、お前も撮影があるからだろう……ヤシロ、公私混同するんじゃない、お前が思っているより芸能の道は厳しい、生半可な覚悟で役に臨めば、次は無いんだぞ」
「なら……もうやめる!」
「ヤシロ!!」
パン、と親臣は弥代の頬を張った。同じ芸能の道を歩ませるにあたり、いくら息子といえどもその言い草に怒りを抑えることは出来なかった。
ぶたれた頬を朱に染めた弥代の青い目が潤み、ぽろぽろと涙が溢れ落ちる。弥代の啜り泣く嗚咽が、書斎に悲しく響く。
「すまん……すまない、ヤシロ……。おい、冷やすもの、持って来い、早く」
部屋の外で控える小間使いにそう指示した親臣は、跳ねた白黒の頭をぐしゃりとかき上げ、ああ、子供相手に思わず手を上げてしまったと己の行為を恥じた。だが、弥代の言葉が聞き捨てならなかったのは事実ーー
親の目から見ても整っている顔をくしゃくしゃに歪めて、弥代は涙を流していた。
「泣き止め、ヤシロ……情けない」
「ひぅ、ぅ、……と、父さ、なんか……きら、……嫌いだ……」
真に情けないのは手を上げた自分だが、それでも父親としての沽券か、親臣は弥代をそれ以上宥めすかしたりはしなかった。弥代が本気でこの役をやりたくないと言うのならば……
「父さんの、馬鹿……芸能馬鹿……バカ!!バカ!!」
ぅう、と嗚咽混じりに父親を思い付く限りの罵詈雑言で威嚇する弥代を、親臣はただ見詰めていた。

やがて小間使いが扉を開け、冷やしタオルを銀の盆に置いたものを気まずそうに差し出してくる。親臣はそれを書斎机に置かせると、短く礼を言って退席させた。
「……これで冷やせ、自分でやれるな?」
ブラウスの袖で涙を拭いながら、弥代はぶんぶんと頭を降る。
「甘えるな」
語気を強めた父の言葉に、再びショックを受けた弥代が
わっと泣き始める。その哀れな息子の背の一つでも撫でさすってやりたくなる気持ちを、拳を握りぐっと堪える。
「おまえがさっき言った言葉を撤回しない限り…許さんぞ、泣こうが喚こうが、だ」
「えぅ……グスッ、ぅう……い、やだ、やだ……」
「ヤシロ!!」
「っ……あ……」
ぺたん、と怯えた弥代がその場に膝をつく。そのまま頭を下げた弥代は、ウッ、ウッ、と嗚咽に喉を震わせながら固まってしまった。
「……早く冷やせ、顔の腫れが引かなければ役に支障が出る」
「………………。」
無言の弥代。親臣はふう、と息を吐いた。
「……………拗ねるのはよせ、もうそんな歳でもないだろう」
言いながら、少し前まで無邪気な顔をして台本を懸命に読んでいた弥代を思い、親臣の胸がチクリと痛む。分からない…分からない……弥代は本当に、あの台詞……「お母さん、いつもありがとう」の気持ちが分からないのかも知れない。
こんな時、母親ならどうするだろうか……親臣は考えた。弥代の母はーーここには居ない。弥代はかつての最愛の人の忘れ形見でもあった。弥代は母の乳を吸うことなく育ち、かといって愛情に飢えている様子もなく、父一人子一人ーー素直で聡明な少年として、家にいる幾人かのハウスキーパー達からも常に愛されし存在だった。それが、今ーー。
これは弥代の人生二度目となる反逆なのだろうか、と親臣は思い当たった。よちよちと歩いたかと思えば広い家をまるで怪獣のように荒らし、泣き、言葉も覚束ない頃に弥代は一度目の反逆をした。ハウスキーパーやシッター達が悲鳴を上げる中、だがそうそう家を空けていた親臣の記憶としては、食事をイヤ!と何も食べずに走り回ったかと思えば、やがてスイッチがきれたかのように床で眠る、いかにも可愛らしい姿だった。
さて、どうするかと親臣は腕組みをしてヘソを曲げた可愛い我が子の丸い頭を見下ろしていた。貴重な修練の時間が浪費される一方だと呆れつつ、ついには、親臣の方が折れた。
「……ヤシロ………。風呂にでも入るか……一緒に……」
「………。」
父の提案に、下を向いてべそをかいていた弥代は素直にこく、と首を縦に振り、従った。
畳む


#パパヤシ

HEROたるもの

トウマアンソロに寄稿したSSです。

 鳥頭目芸能塾でのレッスンを終え繰り出した昼下がりの渋谷は、いつも通りの喧騒に満ちていた。
 この街に足しげく通うようになってからはその人波にも慣れたものだったが、今日はまた一段とうるさいのが横にいる。エリーだ。
「俺はラーメン」
「あたしはグリーンスムージーよ!」
 それ腹に溜まるのかよ?と聞き返すも、いいのよ!の一点張りで話し合いにすらならないため、とりあえずどちらも頼めそうな駅前のカフェへ向かうことにしたのだが。
「おまえの横で俺だけガツガツ食ってるのもなあ…」
「台本読んでるからいいわよ、気にしないで」
「いやいや、そうじゃなくて俺が気にするんだって…ん?」
 交差点へ差し掛かったところに人溜まりが出来ていたせいか、自然と二人の足が止まる。
 何かイベントでもやっているのかと思った矢先。
「っ痛ててて…。オイ!何しやがる!」
 突如人混みに響いた怒号に、人より頭一つ高い視線をやる。ざわめく周囲の中にぽっかりとアスファルトの見えるその一画に、ベルトから伸びる鎖をジャラジャラと垂らしながら尻をついた金髪の男と、その両脇には似たような出で立ちの茶髪の男、やたら派手なスカジャンを着たスキンヘッドのいかつい男…いわゆるチンピラの類の男達が目に入る。
 そしてその正面に立っているのは、あろうことか見覚えがある紫のスーツ姿。
「俺はここに立っていただけだが」
 周囲の人々が顔を背ける中、彼は連れの男達に腕を引かれ立ち上がった金髪男に何やら悪態をつかれているようだったが、スラリとしたその両脚は微動だにしない。
「テメェ、さっきからスカした顔で俺の前に立ちやがって、気に入らねえんだよ!」
「信号が変わるのを待っていたからな」
「おいニイちゃん、つべこべ言ってねえでこっち、ついて来いや」
 野次りつつ口端をニヤつかせて進行方向に立ちはだかる男達に、腕組みをして何やら考えるような素振りを見せた後。
「ついていけばいいのか?」
 あっ、と声をかける間も無く、弥代はその”いかにも”な男達と共にビルの隙間へと消えてしまった。

「……ねえ、今の」
「ああ」
 その現場を見てしまったのだから仕方ない。頭で理解するより先に身体が動いていた。
「マイコさんに連絡しといてくれ!」
「ちょっとトウマ!?あたしも行くわよ!」
 駆け出した赤い髪の背を、甲高い声と共に緑のスカートを翻したエリーが続く。


     ◇◇◇


 表通りの喧騒から一転、じめじめして昼なお暗いビル壁に囲まれた袋小路の一角に、果たして弥代はいた。
「見つけた!ヤシ…」
「おい、待てよ」
 なんで!?と不服そうなエリーに対し、こういうのは出ていくタイミングがあるんだよと目配せすると、ひとまず壁の窪みに身を潜める。
 芸能事務所に身を置く立場上、変に騒ぎを起こすより何事も穏便に済む方が良い。しかし当の弥代を取り巻く状況は、思惑とはすっかり真逆を行ってしまっているようだった。
「突っ立ってないで何とか言えよ、オラァ!テメェ…俺にビビって何も言えねえのか?アァ?」
 どこからか吹き付ける換気扇の生暖かい風が漂う嫌な空気の中、人気が無くなったことで気が大きくなったのだろうか。弥代の眼前で凄む金髪男の罵声がコンクリート壁に響く。
「俺はスケジュールが詰まっている。用件なら手短に済ませろ」
「ナニ上から目線で物言ってんだァ?ここまで来て何もしねぇで帰すとでも思ってんのかよ」
「今日はオレ達にたっぷり付き合ってもらわねえとなあ?」
 まるでテンプレートのようなチンピラの言い分に、心の中で頭を抱える。この流れだと、金をたかられるか、最悪リンチか。
 しかし弥代の泰然とした表情は変わらなかった。
「ならば貴様らに用はない。そこをどけ」
 まあ…弥代ならそう返すだろうなと斗馬は軽く溜息をついたが、案の定その言葉で火に油を注いだようにチンピラ達はヒートアップする。
「ハァ?オレ様にぶつかっといて何だよその態度は!さっきからオレ達をナメてんのか!?」
「さっさと詫び入れろや!」
 弥代を取り囲み、コンクリート壁を叩きながら恫喝する男達。いくら弥代といえど相手は見るからに危ない男三人…多勢に無勢だろう。
「オラァ、泣け!泣いて許しを請えば許してやってもいいぜ!」
 嫌な記憶が頭をよぎる。同じだ。
 弥代に昔の自分を見ているようで、胸の奥からふつふつと怒りが噴出してくる。

 しばらくの沈黙の後、弥代はクールな表情を変えないままに口を開いた。
「…泣けばいいのか?」

――やーいやーい!弱虫泣き虫貧乏虫、トウマ!
――悔しかったらじいちゃん連れて来いよー!

 少年時代に受けた自分の境遇に対する嘲り、いわれのない暴力…。
 悲しみの淵から自分を救ってくれたもの、それは…。

「…エリー、いくぜ!」
「はいよ!そうこなくっちゃね」
 再び駆け出した斗馬が、弥代と男達に向かって叫んだ。
「ヤシロ!助けに来たぜ!」
「あたしもいるわよ!ヤシロ!」
「赤城斗馬と…。フッ、丁度いい」
 突如物陰から現れた二人の姿に、何だテメェらと騒ぐチンピラ男達。
「この俺が来たからには……ってオイ、ヤシロ?」
 チンピラヤクザに仁王立ちで大見得を切る斗馬の口上などどこ吹く風、弥代は、つかつかとその横のエリーに近づく。
「弓弦エレオノーラ、今週の季節外れのUFO、シーン8だ。付き合え」
「え?ちょっと、なによいきなり!」
 突然の弥代の申し出にエリーが目を白黒させる。
「月島カグヤが月を見てお前の役のエリコを想うシーンだ。台詞は…」
「わ、分かってるわよ!…『じゃあね、カグヤくん。また明日、学校で!』」

『うん。またね…』

 そう呟いた弥代は、既に別人だった。
『月が、綺麗だ……』
 黒と青の目を細めて見上げる空に、勿論月などない。だが確かにそこにある満月に、ヤシロ――カグヤは照らされていた。
 空気が違う。先程までの路地裏で燻っていた風は、爽やかな夜風となって頬を撫でた。
 実際、斗馬が弥代の演技を生で見るのはこれが初めてだった。

『君を想うよ、エリコ……』
 呟いた弥代の頬にはら、と伝う涙。
 魅入られるとはこの事だろうか。その場に居た全ての者が息を呑む。

「……これで良いか」
「っっ!」
 演技を終え、もとの氷のような表情を貼り付かせた弥代の問い掛けに、あれだけクダを巻いていたチンピラ達が後ずさる。
「ッ、ち、チクショウ!」
「危ない!」
 急に弥代へ伸びた拳に気づいた斗馬が弥代を背後に庇うと、バランスを失った男の身体が派手に転がった。
「グワッ!!……て、テメェ…!」
 金髪のチンピラ男が再び地に手をつける羽目になったせいか、怒り狂った他の男達も続いて振り上げた拳を受けるべく構える。
「やめろ!これ以上手出しはさせねーぜ!」
「そうよ!それにもう警察には通報したわよ!」
 動かぬ証拠もあるんだからと、エリーが動画撮影中のスマホを掲げる。
「チッ……畜生!覚えてやがれ…!」
 したたかに打ち付けた腰を押さえながら、捨て台詞を残してチンピラ達は走り去っていった。

「ああいうヤツらって、逃げ足だけは早いのよね…」
 チンピラ達の逃げた方向を見つめながら、エリーがふくれる。
「ヤシロ、大丈夫か?」
「問題ない。ところでなぜお前たちはここにいる」
 それを聞いたエリーが、なんですって!?と言わんばかりに目を見開くと、今度は弥代に向かって大口を開いた。
「あなたが明らかに危ないヤツに絡まれてるのを見たからでしょ!心配したんだから!」
「…心配?」
「ほんっっと、お礼くらい言ってもらっても良いんじゃない!」
「礼か、今お前に稽古に付き合ってもらったことに対してか?」
「違うわよ!!」
 じゃじゃ馬よろしく騒ぐエリーと、腕組をして首を傾げる弥代の様子に、斗馬はポリポリと頭を掻きながら盛大な溜息をつくしかなかった。


     ◇◇◇


「…と、まあ、そういった感じで。大事にならなくて良かったぜ」
「そうか。大変だったな、トウマ」
この後始まる雷牙ヒーローショーの控え室で待つ間、斗馬は件の事の顛末をカインに話していた。
「いや本当…。あの後ヤシロはすぐジムに行っちまって、おかげでエリーの機嫌はずっと悪いし、マイコさんからは鬼電されるし……。ま、でも」
「うん?」
「あいつ…ヤシロが、あの時まさか演技で悪を圧倒するなんて、思いもよらなかったぜ」
「ヤシロ殿の優れたパフォーマをもってして悪を成敗したという事か」
「それに…見てて正直、カッコ良かった」
「ふむ……」
 パイプ椅子に座る斗馬が、膝の上で組んだ手に視線を落とす。
「カインには言ったよな?俺がヒーローを目指すきっかけ…。あんまり良い話じゃねえけど、子どもの頃に両親が蒸発してから、俺は周りのやつらに泣かされっぱなしで……。それで俺は、テレビで見た憧れのヒーローになるって決めた訳だけど」
「そうだったな」
「でさ、高校でイツキと会ってすぐぐらいに…街で偶然、俺を虐めてた奴等と出会ったんだ。その時、俺は不安だった。また何か言われたりするかと思って…。案の定そいつらは俺とイツキに絡んできた。どうしてこんな貧乏な奴なんかと一緒に居るんだって」
「……………」
 言いにくそうに話す斗馬をカインの真一文字に結んだ口が見つめる中、一呼吸置いて、再び斗馬が口を開く。
「でもさ、イツキは今まで俺を虐めてきた奴等にきっぱり、友だちだから、って言ったんだ」
「ほう…。なるほど、イツキ殿らしいな」
「まだ高校始まったばっかで、友だちらしいことなんて一つもしてねえのにだぜ?でも俺はその一言にすげー救われて…あの時のイツキは、俺のヒーローだった」
 カインが頷く。
「そんな風に…こう、自分の信じるやり方で周りを納得させる力があるってのは凄いって思ったんだよ、ヤシロの演技も、イツキの言葉も」
「そうだな、人は様々な力を持っている…。英雄たるもの、仲間の持つ力を認め、共に歩むのは大切な事だ」
「だよな。だからこそ大事な仲間を悪の手から守りたいし…俺も、ミラージュマスターとして負けてらんねー!って」
「その意気だ、トウマ。お前のその仲間を思う熱き心の強さは、他の誰よりもパフォーマの輝きを放っているぞ」
「ハハッ、カインにそう面と向かって言われると嬉しいぜ」
いつもは厳しいカインの激励を受けた斗馬は、照れ臭そうに鼻の頭を人差し指で撫でた。

 その時、控え室にノックの音が響く。
「すいません、挨拶に来ました!」
「おいっす、どうぞ!」
「失礼しま……えっ!?」
「んなっ…お前は…!?」
 控え室に入って来た金髪の男の姿を見るなり、斗馬は目を疑った。その男が今しがた話していたチンピラ連中の主犯格だったからだ。
「なんでここに…」
 件の恨みを晴らしに来たのかと警戒する斗馬だったが、その意に反し、金髪男は照れ臭そうに頭の後ろに手をやるとぺこりとお辞儀をした。
「あっ、あの、実は…あの時の演技見て…俺もガキの頃から役者になりたかった夢を思い出しちまって…。それで手当たり次第演者の応募してたらここのショーのエキストラに受かって…」
「!?」
男から出た思いもよらない言葉に、斗馬は開いた口が塞がらなかった。
「あんた、フォルトナエンタテイメントの赤城斗馬だろ?牙豹真役の…。俺より年下なのにすげえ。大抜擢だ」
「え、いや、まあ…。下積み長いし、演技も、まだまだだけどな」
「そんなことねえ!…あ、いや、ないですよ!今日のショー、よろしくお願いしまっス!」
 あと、良かったら俺を弟子にして下さい!と手を差し出してくる男に、斗馬はさらに面食らう。
「フッ…トウマ、お前も英雄たる者、応えてやる必要があるんじゃないか?」
「…ああ」
 カインの声に、斗馬は吹っ切れたようにいつもの笑顔を見せた。
「もちろんだぜ!ヒーローたるもの昨日の敵は今日の友!これからよろしくな!」
 感激で破顔する金髪男の手を取ると、二人はひしと熱い握手を交わした。



後書
参加させていただきありがとうございました!
カインと兄弟みたいに語り合う関係が熱くてめっちゃ好き…
(そして当然のように出張るエリーとヤシロ)

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フォルトナバースデーパーティー(for樹)

フォルトナ事務所メンバーみんなで樹くんの誕生日をお祝いする、はずが…!?
樹愛されほんわか(?)SSです。
※セミネタ注意

20××年7月30日。

「お誕生日おめでとう!イツキ君!」
「イツキ!おめっとさーん!!」
「イツキさん、おめでとうございます!」
樹が事務所の自動ドアを潜るなり、パン、パンと小気味好い音と共に弾けたクラッカーから紙吹雪が舞った。
驚いて前を向き直ると、そこには見知ったフォルトナのメンバーが一同に会していた。
「ツバサ、トウマ、マモリ…それにキリアさんまで…わざわざ集まってくれたのか?」
「もちろんです!」
「おう。まあこれでも被って座れよ、主役らしくなっ」
斗馬に手渡されたキラキラの青いホイルが巻かれた三角の帽子を樹は照れくさそうに被ると、促されるまま入り口横の応接ソファへ腰掛ける。
「私からも…おめでとう。イツキ」
先に座っていたキリアが樹にそっと声をかけた。
「ありがとうございます。スケジュール忙しいのに、俺の為に時間作ってくれたんですね」
「気にしないで、前々から調整していたから。マイコにも融通してもらって」
「そうよぉん!みんなでイツキくんのお誕生日のお祝いするために、マイコさん頑張っちゃったんだから!」
と、奥から舞子がいつもの調子で姿を見せる。
「私も、頑張って今日のお仕事終わらせちゃったわ、ウフフ」
ふんわりと悪戯っぽい笑顔を浮かべる彩羽がそれに続く。
「マイコさん、アヤハさんもありがとうございます。あれ、でも、エリーとヤシロは…」
「待たせたわねっ!」
自動ドアの方から聞き覚えのある高らかな声が聞こえ、一同がそちらへ目をやると、銀のトレイに乗った大きなホールケーキを携えたエリーが仁王立ちしていた。
「見なさい、これがイツキの誕生日のお祝いのために作ったケーキよ!」
どん、とソファ前のローテーブルに置かれたケーキは、色とりどりのフルーツと白いホイップ、金銀のアラザンでデコレートされ、土台にはピンクと黄緑のリボンが巻かれている。
「すごいな…これ、本当に手づくりなのか…?」
「ほんとだ、スゲー!!」
「すごいです!!」
「ハリウッド的に手づくりよ。ねぇ、ツバサ」
「うん!エリーちゃんと二人で頑張って作ったんだ!…えへへ、土台はほとんどエリーちゃんだけど…」
「すごいわねぇ、さすが、若さ…情熱のなせる業だわっ…!」
舞子が感極まったように眼鏡の奥を押さえている中、つばさがポケットから何かを取り出した。
「あとこれも、エリーちゃんと一緒に選んで作ったんだ!はい、イツキ君」
手渡されたそれは、細い革紐にA・Iという銀のアルファベットキューブと、輝く青いビーズや星型のパーツがつけられたものだった。
「これは、ストラップ?」
「そうよ!」「そうだよ!」
返事が被ったつばさとエレオノーラが顔を見合わせるのを、他のメンバーは微笑ましく見守っている。
「ハ、ハリウッド的にオシャレに仕上げたんだから、ちゃんとつけてよね、イツキ!」
「うん、早速つけるよ。ありがとう、ツバサ、エリー」
にっこりと笑顔で応える樹に、目線をそらして照れた表情をするエレオノーラと嬉しそうに手を胸の前で合わせるつばさに、あらあら、と背後の舞子と彩羽は顔を緩ませていた。
「イツキ、俺もこれ、プレゼントな!」
ガシャガシャとわざとらしく音を立てて、斗馬が紙袋からビニールの袋に入った物を差し出してくる。樹が手に取り中身を取り出すと、黒に蛍光グリーンのラインが入ったメッシュ帽が出てきた。
「スポーツ用のキャップか?ありがとう」
「ただのキャップじゃないぜ…何と!ライガモデルの新作、劇場限定版だ!ちなみに俺はこの、オウガモデルを愛用してるからな!」
ちゃっかり腰のベルト紐に付けたカラビナに下げていた黒に赤のラインが入ったオウガモデルキャップを被ると、ビシッとヒーローポーズを決める斗馬。
「はは、トウマらしいな。ありがとう。ジョギングする時にでも被るよ。」
「私からも、イツキさん。はい、どうぞ」
まもりが差し出したのは可愛らしいうさぎ柄の小さな袋。開けると、3種類の銀に光るくねくねした棒が出てきた。
「これ、知恵の輪…?懐かしいな」
「イツキさん、パズルを解くのがお好きだって聞いたので…。私もむかしおばあちゃんに貰ったんですけど解けなかったので、ぜひチャレンジしてみてください!」
「ありがとう、やってみるよ」
「私からはこれ…。イツキの好みに合うかはわからないけど」
まもりの隣に座る霧亜が取り出した箱を開けると、流線状の細工が施されたシルバーのブレスレットが出てきた。
「おお、カッコいいじゃん!」
「ほんとだ、俺、似合うかな…」
「ねえねえ、着けてみて、イツキ君!」
つばさに促され、洗練されたデザインのそれを手首にはめる。樹の手首にぴったりのサイズだった。
「すごい、オトナって感じね…」
「イツキさん、かっこいいです!」
「ありがとう。キリアさんも、わざわざ選んでくれてありがとうございます。」
「どういたしまして。」
フフ、と可愛らしく微笑む霧亜の背後で、可愛いわ…と呟くサーリャが一瞬浮かんで消えた。
さらに彩羽からはハンカチ、舞子からはノンアルコールのシャンパンを出され、さあ乾杯しようというところで樹がはたと気づいた。
「……ヤシロは?」
そういえば、とメンバーが事務所を見回しても弥代の姿がない。
「ヤシロさん、朝から事務所に居るのを見ましたけど、どこへ行っちゃったんでしょう?」
「あ、あたしも食堂の冷蔵庫にケーキ取りに行く時見たわよ。給湯室のコンロで何か作ってるみたいだったけど…」
「作る?……料理とか?」
一同がまさか、と目を見合わせると、計ったかのように入り口の自動ドアが開く音がした。

果たして、スーツに例のレンチンエプロンを巻いた弥代が満面の笑みを浮かべて仁王立ちしている。
その手に持つ皿の上には…。
「きゃああああああーーーーーー!!!!!む、虫!!虫ーーーーー!!!!!」
白い皿の上にこんもりと盛られたそれを見てしまったつばさが悲鳴を上げる。
「お、お、落ち着きなさいよツバサ!む、むむ虫くらいで…!!」
「イヤーーーー!!!!!来ないで!!早く!キン○ョールしないと…!!!!!」
前にもこんな事態になったのを思い出しながらも、樹はつばさとエレオノーラをなだめる。その横の霧亜はというと、引き攣って固まっていた。
「ヤシロ、そ、それ…生きてるのか…?」
「いや。調理済だ」
「調理って、それ……」
「セミ、ですか…?」
斗馬とまもりの質問に、そうだ。と弥代が深く頷く。
「蒼井樹のために用意した、蝉の素揚げだ。」
「セミ……素揚げ……って、食えるのかそれ…?」
「俺がこの世界で最も好む食事だ」
弥代の衝撃の発言に、ザザッと周りの面々が引いていくのを感じる。
しかし至って真剣な眼差しでその皿の上のものを一つ摘んで顔の前に差し出してくる弥代に、樹はそのブツを苦笑しながら受け取るしかなかった。
「食べてみろ。見た目はこうだが…味はそんなに悪くないはずだ」
「う、うん…」
「イ、イツキ君、止めておいた方が…」
「いや、男を見せる時だぞ、ここは…!」
「ううぅ、イツキ君がセミを食べるところなんて見たくないよぉ…」
弥代から受け取ったそのゲテモノ…とどのつまりセミは、素揚げ故に生きている時の形ほぼそっくりそのままの姿だった。
今朝まで外で元気に鳴いていて、まさか素揚げにされるとは思っていなかっただろうそのセミの、つぶらな丸い二つの目が樹を向いている。
「うっ……。」
堪らず視線を上げれば、こちらを見据える弥代の色の違う二つの瞳と目が合う。正に前門の虎、後門の狼。さらに周りは四面楚歌。
さっきまでの和気藹々としたムードからは一転、事務所の中はただならぬ緊張感に満たされていた…。
「い、いただきます」
「頑張って、イツキ君…!」
「食レポしてください…!!」
樹がそれを口に入れようとしたまさにその瞬間、ドサッと何かが倒れる音がした。
「キ、キリアさん!!」
「ちょっとキリア!!大丈夫!??」
慌てて舞子がソファから床に滑り落ちた霧亜を助け起こす。
「ぜんぜん大丈夫じゃ…ないわ……」
「わ、私も倒れそう……」
「ツバサ!」
「ああもう、ちょっとヤシロお前それ下げろ!視覚の暴力すぎる!!」
「そうね、今すぐ中身が見えない箱か何かに厳重に封印した方がいいわね…」
「何故だ?」
「ヤシロさん、そうしましょう!私も手伝います!」
顎に手を当てて首を傾げている弥代を、半ば強引に引っ張りながらまもりが事務所の外へ連れて行った。
嵐が去った空気の中、すまなさそうに舞子が口を開いた。
「ごめんなさいねイツキ君。ヤシロ君たら、イツキ君のために一流のオードブルを用意するって言ってたから期待して任せたんだけど…」
「いえ、ヤシロも悪気があったわけじゃないですし…。それにこれ、本当に美味いのかもしれないと思うと俺の中の食レポ魂が疼いて…」
「もー、止めときなさいよ!それよりあたしのケーキを!!食べて!!!」

その後、まもりによってきれいに箱詰めされた例のものを弥代から改めて受け取ると、ようやく元の和やかな雰囲気の中、樹の誕生日パーティが始まった。
「みんな、ありがとう。」
「イツキ君!スマイルスマイル、歌って~!!」
「はいは~い、そのままみんな笑顔で写真撮るわよ~ん!」
「うおっ、このケーキ美味っ!」
「ちょっとぉ!アンタが1番に食べてどうすんのよトウマ!」
「これは…うむ。まあまあだな」
「…そこはあの、光線吐くところじゃないんですか、ヤシロさん」
「もう、ふざけてないで撮るわよ…(後でトウマを殺すしかないわね…)」
「ウフフ、キリアも笑って。ほら、タイマー、3、2、1…」

モニターから流れるsmile,smileをBGMにして楽しむフォルトナメンバーの様子を、青い扉の向こうからミラージュたちは暖かく見守っていた。

END
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#青井樹愛され話

樹くんおたおめ2021

※特別END後の世界、ドネタバレです


「イツキしゃ・ちょ・う❤お疲れ~ん❤」
「舞子さん」
終令時間に合わせて事務所へ姿を現した舞子の猫なで声が社長室に響く。後ろには彩羽と、つばさの姿もある。そういえば今日はフォルトナが誇る花のアイドルたちが揃ってファッション誌の撮影に出ていたんだった。
「みんな、お疲れ様です」
「ちょっとちょっと!まず一番に気付くことあるでしょう?」
ほぅら、と舞子がその名の通り舞うようなステップでくるりと樹の前で回る。そこで、彼女のまとう衣服が普段のスーツではなく、華やかな和装であることに気付いた。空を流れる少し長めの袖や袂には色鮮やかな南国の赤い花が描かれていて、帯は少し透け感のあるふんわりとした素材の、トロピカルグリーンのリボンが靡く。
「どうかしら?撮影で着せて貰ってそのまま借りてきちゃった」
「すごいです、似合ってますね」
浴衣なんてこのご時世、あまり着る機会ないものね~とまるで幼い子どものようにウキウキした感情を振りまく舞子の後ろで、織部姉妹も同じ様相でにこにこと笑みを浮かべている。
「えへへ……どうかな、私も、こんなにきちんと着せて貰ったのはじめてだよ」
樹にそう言って照れたような顔をしているつばさの浴衣は、夏の青空のように爽やかな色の生地にピンクや薄紫が滲んだきれいな水彩画タッチの朝顔が咲き、それらは腰の部分で太陽の日射しのような黄色の絞り地の帯で柔らかく結われていた。
横の彩羽もデザインが同じ、いわゆる色違いの浴衣だったが、朝日のような白黄の地色に夕顔が綻んでいる、つばさとは対照的に何とも大人っぽい出で立ちであった。
うん、みんないつもよりおしとやかな雰囲気ですごく似合ってるよ、と樹が告げれば、まことか!とつばさは褒められた子どものように破顔してその場で飛び跳ねた。つばさ、せっかくセットしてもらった髪が乱れちゃうわよと早速彩羽に宥められていて、やっぱり中身はいつも通りだと、樹はその姿を微笑ましく見守った。
「そ、れ、で!じゃーん!!」
「うわっ、な、何ですか」
いきなり舞子が黒っぽい巨大な布を目の前に広げたものだから、驚いて樹はガタンと緋色の社長椅子の上でのけ反った。
「樹社長にも、これを着てもらおうと思います!!」
舞子が差し出したのは、紛れもない男性用の浴衣だった。
「衣装さんにお願いして、借りてきたの」
「で、でも俺、浴衣なんて着たこと……」
戸惑う樹に、大丈夫よと舞子が背後に合図を送る。自販機の陰から現れたのはーー
「ようやく出番か、待ちくたびれたぞ」
「オーッス!イツキ」
「ヤシロ、トウマも……」
背の高い男たちもいつもの洋装ではなく、やはり一様に浴衣を纏っていた。俺も弥代に着付けてもらったから、樹もあっちで着てこいよ、と夕日の橙から夜空に変わる闇色のグラデーションに格好良く染まった浴衣の斗馬が樹の方へやって来て、社長椅子に沈んだままだった樹を引き起こした。
「本当にいいのか?」
「無論だ、さあ、着替えるぞ」
斗馬に背中を押されて進めば、舞子から受け取った濃紺の着物と帯、草履に至るまでの一式を手に待ち構えていた弥代が不敵な笑みを浮かべていた。事務所横の会議室を更衣室にしてそこで着替えようと誘う弥代も、もちろん全身を黒に纏めた浴衣に、腰にはカチッとした掠りの帯が巻かれていた。俺も手伝うぜ、と斗馬も後に続く。
バタバタと移動する男たち三人を、賑やかに舞子たちは見送った。

「終わったぞ」
「お待たせしました……って、えっ!?」
ウィーン…と左右に開いた事務所の自動ドアをくぐれば、応接室であるそこにカラフルな風船が飛び、目の前にパン、とクラッカーが弾ける。
『イツキさん、おめでとうございます!!』
『ハッピーバースデー…イツキ』
『ハリウッド的にお祝いのメッセージよ!』
ライブツアー中のキリアと、ハリウッドにいるエリー、そしてまもりは自宅の画面モニタの向こうから、事務所の大きなTVモニタ類を通して映像とメッセージが聴こえてくる。
「俺のためにわざわざ……!?みんな、ありがとう」
このメンバーから祝福を受けるのはもう何度目だろうか。毎年、手の込んだ趣向に驚かされてしまう。さすが芸能に携わる面々$2014$2014人を喜ばせるエンタテインメントに抜かりはない。
「さあ、みんな今から樹社長のお誕生日をサプライズで祝う、プレミア配信の時間よ!同時にショート動画も撮りまーす❤ さあ、みんな踊って踊って❤」
「お、踊…!?」
『源まもり、新曲のふぉるとな音頭を唄います!聴いてください』
『すごいわ、まもり!アタシもこっちで踊っちゃうから!』
『ええ、あなたたちは私の振り付け通りに踊れば良いわ、よく見てなさい』
まもりの可愛らしい声にモダンな和風歌謡の音頭のメロディーが乗り、その節に合わせてキリアがライブの楽屋裏で伸びやかに踊る。いつものダンスとは異なるゆったりとした動きを、つばさも早速真似して踊っていた。
「さあ、イツキくんも踊ろう!」
「えっ、あ、ああ……振り付け、分かるかな」
「何を弱気になっている蒼井樹。ここには俺も居るのだ、来い、手ほどきしてやろう、赤城斗馬、お前もだ」
「あれ?これもしかして俺も踊る流れ……?」
当・た・り・前・よ❤とハンディカムを手にした舞子が、メンバーたちを順繰りにファインダーに収める。
最初はぎこちなく動いていた彼らも、繰り返される音頭の主な振り付けをすぐに覚えると徐々に輪になり踊り始める。
「やっぱり若いコたちは覚えが良いわ~~!バリィもさすがね、日本文化を熟知してる」
「本当に、もうみんな動きがまもりちゃんの唄のリズムとぴったり合ってるわ」
「そういうアヤハも若いんだから、ツバサと一緒に踊ったらいいじゃない」
「私はライブ中継の実況解説を入れないと」
「あらん、じゃあ一緒に飲みましょ、ほらほら」
「もう、マイコったらすぐ日本酒開けちゃうんだから……イツキくんの誕生日に酔い潰れないでね」
「ハイハーイ❤あら、今のターン良かったわよ、トウマくん」
「うっす」
「ヤシロくんもキレキレ……音頭なのにすごいわ」
「イツキくん、次はこっち、上げて、下げて」
「ああ、右、左……」
「ふむ、大分形になってきたな……」
『良い感じ、ね、エリーは?』
『アタシもハリウッド……じゃなかった、フォルトナ音頭、バッチリ覚えたわよ!』
『お粗末様でした』
まもりが6番まである長い音頭を歌い上げると、お次はどこに隠していたのか、樹を祝うべく用意された大きな誕生日ケーキが登場した。それだけではなく、縁日にありそうなカラフルなチョコスプレッドがかけられたバナナや、フルーツ飴、かき氷もあるわよ、と舞子がキャスター付きのオシャレなキッチンテーブルに乗せたそれらをカラカラと運んでくる。
やったー!!と喜ぶつばさに、食物の登場にテンションを上げる斗馬と弥代。踊りに汗した樹もペットボトル飲料水を傾けつつ、嬉しさに満ちた笑顔を向けた。

「あー、楽しかった!」
宴を終えて帰路に着く事務所の面々を、細い月が照らしていた。
ビル街を抜けて駅へ来たところで、気を付けて帰りなさいね~と保護者然とした舞子が赤ら顔でひらひらと手を振った。見送られつつ、舞子さんこそ帰り大丈夫なのかよと斗馬が呟いたのは聞かなかったことにしておこう。
帰る方向が違う弥代とホームで別れて、つばさと彩羽、樹、斗馬が帰宅ラッシュをやや過ぎた電車に乗り込む。
「イツキくんも楽しめたかしら?」
「はい。浴衣と、まさか音頭まで用意されてるなんて」
「ウフフ、プレミアライブ配信も好評だったみたい。アーカイブの準備をしなきゃ…」
「もう、お姉ちゃんも一緒に踊れば良かったのに」
「そうですよアヤハさん!そうだ、また振り付けの動画撮りましょう!ツバサちゃんと一緒に!」
「それいい!お姉ちゃんとなら喜んで踊るよ!」
話を弾ませていたその時、パッと電車外の空が光る。
それに気付いた周囲に乗り合わせた人々も、わあっ、と歓声を上げた。
「花火!花火だよ!」
ドン、とまた大きな光の花が夜空に咲く。まさかのシークレット花火大会だった。
「すごい、サプライズプレゼントだね!イツキくん」
「ああ……まさかこんな近い所から見れるなんて」
「うおっ、デカいぜ!また上がる!」
ヒュゥ……と空を切りながら音を鳴らす花火玉が、また特大の花をバンと咲かせ、電車内から拍手が上がった。
「すっげー…七色だ」
「ほんと、珍しいわ……キレイ……」
赤、青、黄、緑、ピンク、紫、白……それらがまるでグラデーションの虹になったかのような花火が打ち上がり、窓を見つめる樹の瞳に七色の光彩となって映る。
それらの綺麗な輝きは、まるでいつかのパフォーマとそっくりだなと、樹はふと懐かしい相棒たちのことを思い出した。
彼らもーー遠い世界で、このような美しい光景を目にすることは出来ただろうか。
「きっと……」
「どうしたの?イツキくん」
「いや、綺麗だなって」
光に照らされた真っ直ぐな樹の蒼い目に射抜かれたつばさは、え、ええっ!?と真っ赤な顔をしてあたふたと落ち付きを無くしたところで、また大きな花火が連続で上がり出す。ドン、ドン、と眩しい程の光の洪水が空一面を照らす中、電車はまだしばらくレールを走っていく。
我ながら、最高の誕生日だと言える程のプレゼントを受け取った樹は、この幸せな世界の下ーーたとえ見上げる空は違えど、かつての相棒にもこの輝きが映ればと願いながらーー今日の景色をしかと胸に刻んだ。

END
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#青井樹愛され話

フォルトナバレンタインデー2

樹愛されSSその2。
フォルトナメンバー+仲間ミラージュ総出演でバレンタインのあれこれ妄想。
2/14の気分でお読みください(天気は雨)
※性懲りもなくまた虫ネタ有り


日曜日の朝。
昨夜から降り続く雨の中、蒼井樹はいつものように事務所へやって来た。
珍しく、入り口横のソファにつばさが座っている。
「おはよう、イツキ君!」
「ツバサ。おはよう」
樹の姿を認めるなり勢い良く立ち上がったつばさが、何かを差し出した。
「イツキ君!はい!」
「これは…?」
赤いリボンの付いた可愛らしいハート型の箱が目に入る。
「バレンタインデーのチョコレートだよ!えへへ、エリーちゃんに教えて貰って、今年は手作りしちゃった…」
「ツバサがチョコを手作り!?」
「か、形はちょっとイビツかもしれないけど、味は心配いらないから!…イツキ君、受け取ってくれる?」
「そうなのか…うん、もちろん。ありがとう」
おっちょこちょいで知られる幼馴染の作に一抹の不安を抱えつつも、つばさが嬉しそうにえへへとはにかんでいる姿を見ると微笑ましく感じた。アイドルになっても、こういうところはいつもと変わらない。
「…おはよう。イツキ、ツバサ」
「キリアさん」
ふと後ろを振り返ると、今度は霧亜がやって来たようだ。
髪に滴った雨粒を払いながら、いつものクールな出で立ちで二人の前に立つ。
「あっ、キリアさんにも、…はい、どうぞ!」
「これは…?」
「チョコレートです!あ、あの、手作りしたので、お口に合うか分かりませんが、良かったら…」
「貰ってもいいけど、私は女よ?」
「あ、いえ、友チョコです…って、キリアさんは友だちじゃない!すみません!あの、でも、えっと…食べて欲しくて、あの…」
「あなたの気持ちは分かってるわ、ツバサ。わざわざありがとう。頂くわね」
「わ、わぁ$301C!ありがとうございます!キリアさんに貰ってもらえたよ$301C!嬉しい$301C!」
「良かったな、ツバサ」
「……チョコレート……ね」
手放しに喜ぶつばさの横で微笑む樹の様子に、ため息のような呟きが霧亜の口から漏れる。
後ろ手に持った包み紙が、カサ、と音を立てた。
「キリアさん?」
呟きが耳に届いたのか、見つめているのに気付いたのか。樹が不思議そうに霧亜の方を向く。
「…何でもないわ。じゃあ、私はこれから新曲のレコーディングの打ち合わせに出るから」
「はい。雨で移動が大変だと思いますけど、頑張って下さい」
「新曲、楽しみにしてますっ!!」
見送る二人に踵を返そうとした霧亜の動きが、躊躇いがちに止まった。
「…イツキ。これ…良かったら食べて。あなたにはいつもお世話になってるから」
ぽん、とカラフルな包みが手に乗せられたかと思うと、霧亜はガラス扉をくぐり、振り返る事なく行ってしまった。
「これは…?」
「あ、あああああ!!いいな!いいなああイツキ君!!!わ、私も、キリアさんのチョコ、欲しい$301C$301C!!!貰いたいよーーーー!!!」
樹の声に被り気味に叫んだつばさの声で、手の中のそれがチョコレートの入った箱だという事に気付いた。
今日はバレンタインデー。さすがに霧亜の気持ちであるそれをつばさに分ける事は出来ないと思い、羨ましがるつばさをなだめる。
「悪いな、何か。俺なんかにキリアさんまで気を遣って貰って」
「…ううん、それはイツキ君の頑張りを、キリアさんもしっかり認めてくれてる証拠だよ!良かったね、イツキ君!……わ、私も、いつもすっごくイツキ君に助けられてるから…!ありがとう!」
「ツバサに改めてそう言われると照れるな…うん。こちらこそありがとう、これからも頑張るよ」
「私も、キリアさんに褒めて貰えるぐらい頑張るから!じゃあ、マイコさんに今日のお仕事の内容聞いてくるね!」
笑顔を取り戻したつばさが事務所の奥へと向かうのを見送りながら、自分より先に来ていながらなぜ今日の仕事のスケジュールを把握していないのかと、樹は頭をひねった。
(まあ、ツバサのことだからな…)
いつものドジっぷりを少し不安に思いつつ、自分もスケジュールを確認する。
これから昼過ぎまで烏頭目レッスン場で演技のレッスンがあるらしい。
貰ったチョコをレッスンウェアの入ったスポーツバッグにしまうと、樹は事務所を後にした。

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「あ!イツキ、おはよう」
「はよーーーっす、イツキ」
烏頭目レッスン場に着くなり、頭の色が派手な二人に迎えられる。エリーと斗馬だ。
「二人とも、早かったんだな」
今日は珍しく、この三人でレッスンを受ける。何故なら、斗馬が主役を務める特撮に樹はエキストラ、エリーはホラーハンターアンジェと凰牙のコラボとしてゲスト出演する事になったので、どうせならトリオで練習を、との事だった。
「同じ事務所仲間だけど、レッスンは本気でビシバシいくわよ!イツキ!トウマ!私のハリウッド魂をしっかり感じなさい!」
「それはこっちのセリフだぜ!特撮は俺の十八番だからな、先輩として技の魅せ方ってモンを披露してやる!覚悟しろよ、イツキ!」
「ちょっとお$301C$301C!私とイツキの方が先に同じシーンで出番があるんだから、トウマは台本合わせが終わるまで引っ込んでなさい!」
レッスン開始前から、エリーも斗馬もやる気は十分らしい。が、十分すぎて少々熱が入りすぎているようだ。
「だから、大事なのはクライマックスに至るまでの技の魅せ方で…!」
「そんなことウダウダ言ってるヤツには、チョコレートあげないから!」
「へ?……あ、そっか、今日はバレンタインだったな…」
話がこじれてフン、とヘソを曲げたエリーと、困惑する斗馬の様子に苦笑する。
「トウマ、残念。」
「イツキには、ちゃーんと用意してあるからねっ!」
「うっ…。す、すいません。でした。」
毎年、貰ったチョコの数は男の沽券に関わるのだろうか。やけに素直に斗馬が頭を下げている。
「もー、仕方ないわねぇ。私のハリウッド的に最高の手作りチョコ、あんたにもあげるわよ」
「エリーは料理上手だもんな。ツバサにも教えてくれたんだろ?」
「…へ!?何でイツキが知ってるの?」
「ここに来る前に事務所で貰ったんだ。ツバサと…あと、キリアさんに」
「…!」
「ツバサちゃんからだけでなく、キリアさんからもチョコを!?」
そうだよ、と肩にかけたままだったバッグの中から、2つの包みをチラリと見せる。
「…さすがイツキ…男としての余裕を感じる……」
「……フ、フン!大事なのは中身なんだから…!」
さっきまで威勢がよかったはずのエリーが、慌てて隅に置いていたバッグから小包を手にすると、樹へ近づく。
「はい、これ!忘れない内に先に渡しておくわ、イツキ……えっと……いつも、ありがと……」
「え、あ。ああ。ありがとう、エリー」
唐突に突き出されたそれを受け取りながらエリーの方を見ると、さっきまでの威勢はどこへやら、頬がポーっと赤くなって目線を逸らしている。
「エリー、顔が赤いけど、風邪?その服、寒いんじゃないか?」
「ハアッ!?…そ、そんなワケないでしょ!このハリウッド的に動きやすいスタイリッシュなレッスンウェアのどこが寒そう…って、もう!この天然ニブチン王子!」
「え、ごめん…」
俺、何か間違ったかな…というイツキの呟きを聞いたエリーは、さらに顔を真っ赤にして、「もう、知らない!」と言ってプイと横を向いてしまった。
そのやりとりを横で見ていた斗馬は、あちゃーと顔を覆い肩を落としていた。
「オイ!オマエラ、真面目にやってンのか!?」
と、バリィが絶妙のタイミングでレッスン場の扉を開き、どたどたと体躯を揺らしながら参上した。
「バリィさん、遅かったですね…今日は一体何に並んでたんですか?」
「Oh、愚問ダナイツキ。今日は何の日ダ?答エテみヤガレ!」
「えと…バレンタインデー…ですか?」
「Yes!イツキ、ソノ通りダ!コレをとくと見ヤガレ!!」
バリィが高く掲げているのは、いつも彼のシャツに描かれたキャラクターがチョコレートを差し出しているイラストがプリントされた紙袋だった。
「フフフ…昨日の夕方から並んで手に入れてキまシタ…大勝利デース!」
「はあ…。」
よく見ると目の下に色濃い隈を作っているバリィが自慢気に語り始めるのを、呆れた様子で見守る三人の元に、今度は天使のような明るい声が届いた。
「おじちゃん$301C。おはようございます」
「Why!?まもりん$301C$301C$301C!?!?」
小柄な陰がレッスン場の扉を開けて入って来る。いつもの和装姿の源まもりだった。
「イツキさん!エリーさんとトウマさんも、おはようございます」
「Oh…まもりん…今日も天使の出で立ちデースね…徹夜明けの目に沁みマース…」
感慨深く呟くバリィをよそに、やって来たまもりを和かに迎え入れる。
「マモリ、おはよう」
「はい、おはようございますイツキさん。収録まで時間があるので、ちょっと抜けてきちゃいました。今日はこちらでレッスン中とマイコさんに伺ったので」
そう言うと、まもりは腕に下げていた紙袋から、小さな箱を取り出した。
「はい、イツキさん。今日はバレンタインなので、まもりん特製チョコレートです。おじちゃんにも、どうぞ」
「あ、ありがと…「オオオーーー!!!!!Great!!まもりんはやっぱり2次元から3次元に降り立った天使デース!!!天使のチョコをGetデーーーーース!!!!!」
イツキの感謝の声が、歓喜したバリィによってかき消されてしまう。が、慣れた様子のまもりは構わずニコニコしていた。
「お、俺には……?」
「もちろんありますよ!はい、斗馬さん。いつもありがとうございます」
良かった$301Cと胸を撫で下ろす斗馬の横で、「男冥利に尽きるゼ……」とバリィが感涙している。エリーと言えば、男ってホント厳禁ねと言わんばかりの視線を横目で送りつつ、台本をめくっていた。
「レッスン中にお邪魔してすみませんでした。では、戻りますね」
「ああ。外は雨だけど気をつけて。わざわざありがとう、マモリ。撮影、頑張ってね」
「は、はい!頑張ります。イツキさんも、無理せずに頑張って下さい!」
「ありがとう」
えへへ、と照れ笑いを浮かべたまもりが、レッスン場を後にする。
「イ$301Cツ$301Cキ$301C$301C」
「うわっ、バリィさん…!?」
和やかだったムードがバリィの怨念が篭った一声で一転した。背後にドス黒いオーラが透けて見える。
「キサマ、今日のレッスン……生きて帰レルと思うナよ!!!!!トウマ!オマエもナ!!!」
「うえっ、どうして俺まで……!」
巻き添えを食らった斗馬が不満そうに漏らす。
「さーんせい。こうなったらみっちりレッスンしましょうね、イ、ツ、キ」
「あ、ああ…」
こうして、今日も烏頭目レッスン場名物、地獄のスパルタレッスンが開始した。
昼食時には、つばさのtopicに『さっきはありがとう、また今度チョコレートのお返しをさせてもらうわ』と霧亜からのメッセージが届いたことをつばさが歓喜して伝えてきたが、ヘトヘトにバテた樹は一言、良かったねと返すことしか出来なかった。

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夕方になり、やっとレッスン場を後にした樹は他の予定のあるエリーたちと別れ、事務所へ戻っていた。
が、何やら事務所のビル前の道路に宅配便のトラックがひしめき合っていてクラクションが騒がしい。人の波を抜けてどうにか中へ入ると、フォルトナの事務所へ続く通路には、ずらりとその宅配業者が列を成していた。
「あ、ちょっと!イツキくん!!ヘルプ!!」
宅配業者に囲まれて受け取りのサインに追われているマイコが、樹を呼ぶ。
「マイコさん?アヤハさんも…!どうしたんですか?」
「いい所に帰って来てくれたわ…!ちょっと、これ、事務所の中のブルームパレスに運んでいってくれないかしら。」
そう言って指し示されたのは、いくつものコンテナに入った大量の荷物。しかも現在進行形で増え続けている。
「こ、この量…!?一体、何が届いたんですか?」
「チョコレートよ!!ヤシロくん宛の!!」
「えっ……」
樹が絶句している間も、ガラガラと台車で荷物が追加され、積み上がっていく。マイコとアヤハに群がっていた業者がやっと居なくなった頃には、荷物の山が事務所の入り口を塞いで見えなくなるほど高く積み上がっていた。
ブルームパレスに運ぶにしろ、台車で何往復すればいいのか検討もつかない。
「…当のヤシロにも、運ぶの手伝って貰いましょうよ」
「ダメよ。今ドラマの収録中。ハァ…でも、それだけ売れっ子なんだから、仕方ないわね$301C」
「凄いわね、ヤシロくん…」
これが嬉しい悲鳴と言うのだろうか。世の女性たちからの弥代の人気をチョコという形で目の当たりにして、まさかここまで凄いとはと、樹は改めて芸能界の凄さを感じた。
「とりあえず連絡はしておきますね……」
樹はtopicでこの現状を弥代に知らせるメッセージを送り、他のメンバーにも手が空いたら手伝いに来てもらうよう働きかけた。
「俺も手伝うぞ、イツキ」
「クロム!ありがとう」
ガラガラと台車でチョコレートの箱をブルームパレスの扉の中に運び込むと、クロムが出迎えてくれた。カインや、シーダもそれに続く。
「それにしてもすごい量…。これみんな、女の子たちからなのかしら」
「全く、羨ましい限りだねぇ…。この貴族的な私も、元の世界ではこのように数多の女性たちから贈り物を受けていたのだろうね」
「あり得ないわね…」
「ちょ、ちょっとサーリャ君!?聞き捨てならないセリフを言うのはよしてくれ!」
「……下らん」
「ナバール、そう言いつつ、ヤシロ宛の贈り物が嬉しいんじゃないのか?クソッ…トウマ宛のものも紛れていないだろうか…」
「皆さん、喋ってないでどんどん運んでいきましょう!それにしても、どの箱も甘い香りがしています。これをヤシロさんは1人で食べるのでしょうか…?少し分けて欲しいものですね」
「えーん、わたしもチョコレート、食べてみたいよ$301C!」
無心で荷物を運び込む樹たちを余所に、何処となく楽しげなミラージュたちであった。

「イツキ君!私も手伝うよ!…ってあれ?荷物は?」
「ツバサ…。今、やっと全部運んだところだよ…」
「そっか、一足遅かったね…お疲れ様、イツキ君」
ソファに沈んでいる樹に、つばさは自販機で買ったアムリタソーダを持ってきてくれる。
「そんなに凄い量だったんだ!?」
「凄いってものじゃないよ、うん…あの量、ヤシロは一体どうするんだ…?」
弥代から未だtopicの返信はない。ふう、と一口爽やかなジュースを味わった時、不意に事務所の入り口が開いた。
「ヤシロさん!」
カツ、と靴音を響かせ、長身の男が平然と入って来る。噂をすれば弥代だ。
「えっと…おかえり、ヤシロ。荷物来てるぞ……」
パレスの中にあるから、と指し示すが、ヤシロは腕組みをして樹に向き直った。
「蒼井樹。お前がわざわざ運んだのか」
「もちろんだよ。他に手が無いし…」
「……下らん。誰とも知れない者からの贈り物など、なぜ受け取る必要がある」
顔色一つ変えずに、弥代がそう言い放つ。
「ヤシロさん!あんまりですよ!女の子の気持ちが詰まってるんですから…!」
「世の風習にかこつけて、自分勝手な想いを対象に押し付けているだけではないのか?」
「で、でも…!」
弥代の言葉に言い返せなくなったつばさがオロオロとしているのを見かねて、樹が助け船を出す。
「ヤシロ。一流芸能人なら…チョコレートを貰って欲しいっていうファンの女の子たちからの純粋な想いを受け止めるのも、立派な仕事じゃないのか?」
「………。」
今度は弥代が考え込んでしまい、3人の間に沈黙が流れる。
「ハイハイ、とにかく今日はバレンタインなんだから、こうなるのは分かってたわ。ちょ~っと想像以上に量が多かったけどねん」
なだめるように奥からマイコが現れた。
「ヤシロ、届いたチョコレート、どうするんだ?」
「……。分からん。これまでそういった雑事は全て付き人に任せてきた。だが、お前の言うことにも一理ある。…ならば……」
思い立ったように弥代がイドラスフィアへ進んでいく。樹たちもその転末を見守るため後を追った。
青い扉をくぐった先の一角には、チョコレートの箱で出来た山が形成されていた。
その前に立つ弥代が、手前にある箱を一つ手に取ると、開け始める。
「ヤシロ、まさか全部、食べるつもりか…?」
「そのつもりだ。」
「っ!!……何日かかるか分からないし…!そんなことしたらまた20キロ、いやもっと体重増えるぞ…?というか、病気に……」
「想いを受け止めるのも仕事だと言ったのはお前だろう。全て食してこそ、一流だ」
「いや、そうかもしれないけど…!限度が…!」
言い合う樹と弥代の耳に、ガサゴソ、と積まれた中の箱の一つから不穏な物音が響いた。
「え?何だ…?何か、生き物、入ってる…?」
「……これか」
弥代がその箱を取る。と、やはり物音がするどころか、少し動いている。
「キャアアッ!何!?何!?不審物!?嫌がらせ!!?」
「ヤシロ君、気をつけて!」
騒ぐつばさと舞子の様子に、辺りのミラージュたちも身構える。
「……開けるぞ」
「ああ。」
箱にかけられたリボンを解き、蓋を開けると、そこに現れたのは、黒光りする、角が立派な…。
「ギラファノコギリクワガタ…?」
「ク、クワガタ……?虫?」
「キャアアアアーー!!虫!!マイコさん!!キン◯ョール!!」
「落ち着きなさい、クワガタは害虫じゃないわ、ツバサ。でも、どうして…」
舞子がうーん、と考え込むと、あっ、と手を叩いた。
「この前のインタビュー記事……」
「えっ?」
混乱する周りを余所に、箱から出てきた立派な角を持つクワガタを手に乗せた弥代の纏う空気が、さっきより柔らかい。よく見ると周りに花も飛んでいるような…。
「クワガタ、好きなのか、弥代…?」
「…好きという程ではない。この黒い光沢、雄々しい角を延々と眺めていても見飽きない程度だ」
「それ、かなり好きってことだよ…」
何時ぞやの温泉レポートのようなやり取りをしながら、樹が珍しく突っ込みを入れる。
「チョコレートに拘らず、相手の好みに合わせた贈り物を考え、誠意を込める…なるほど…。良いものだな、バレンタインという機会も。」
「ヤシロ……」
弥代から出てきたその言葉に、何故か樹がホッとする。
「あ、チョコレートは無理して全部食べなくても大丈夫よ、ヤシロ君。こういうのはちゃんと事務所が管理するから。でも、チョコレート以外のお手紙とかにはちゃんと目を通してあげてね。忙しいと思うけど」
「ああ、分かった」
返事をしつつも、ヤシロは革手袋の上に乗せたクワガタから目を離さない。よほど気に入っている様だ。
「名前付けて飼ったら?事務所で」
「飼う…?」
「飼育ケースに入れて、餌をやって世話をしたら良いんじゃないかな」
「賛成!見た目が恐いから、チョコちゃんって名前はどうかな?」
さっきは悲鳴を上げていたつばさも、雰囲気が丸くなった弥代の手に乗るクワガタに興味津々の様子だった。

一方その頃…。

「えっと、来月のお返しも忘れないようにしないとね…」
大量の伝票に記された送り主の名前を整理しながら、一人事務所で綾羽は作業に追われていた。
私の用意したチョコレートはいつ渡せそうかな…と、ちらりと机の下にある青いリボンのかかった箱を見やる。
いつも妹がお世話になっている、青い髪の少年に思いを馳せながら。

END
畳む


#青井樹愛され話