蜜月

「…………………、」
「あ」

「気がつきました?ラフィンさん」
遠くでナロンの声がする。ああ、逃げなければ……と暗闇の中でもがくようにしてラフィンは目を開けた。
現れたのは白いシーツの海だ。その上に網のように広がる髪の毛。素肌がシーツと同じ色をした薄い布団にくるまれているのを察した。
「……………」
 眠りから覚醒したばかりの思考には濃いもやがかかり、どうして自分はここで寝ていたのかさえ思い出せない。目だけをキョロキョロと動かし辺りを伺うが、天井の高さ、壁紙、カーテンの色。そのどれをとっても、ここはラフィンの記憶に存在しない部屋らしかった。
「どこか、痛いところはないですか?」
「………?……。…っ!」
 ぼんやりと顔を上げるとすぐ横にナロンがいるのを見つけたため、ラフィンは反射的に身を引いた。
動いたことで、段々記憶が戻ってくる。
そう、確か……
「ガルダ!」
 青ざめた顔でラフィンが大きく叫んだ。
全て思い出したのだ。
「ガルダは……!」
 突然、激しい剣幕と共にラフィンはナロンに食ってかかった。
「待って、落ち着いて下さい」
「うるさい!!ガルダは……!俺のガルダはっ」
 上体を起こし、胸のところの服を掴んでくるラフィンにナロンはため息をついた。
「大丈夫、大丈夫だから、落ち着いて……」
 ラフィンをなだめようと、いきり立った背中に腕を回しさすってやる。しかしラフィンはそれを振り払うべく身体を左右に揺すった。
「うぅっ!止めろ、離せ!ガルダ、ガルダあっ」
 どれだけ身じろいでも離れようとしないナロンの手に、ラフィンはようやく抵抗を鎮めた。頭に血が上ったせいで、激しい呼吸が部屋に響く。
「……おさまりました……?」
「………ッ……離せ……」
「ああ……。せっかくここまで運んであげたのに、そんなに動いちゃ……」
 ナロンは心配そうな声をして、ラフィンの身を気遣っている。
「…………ここは、どこなんだ」
 少なくとも、あの丘から今いるこの部屋のベッドまではナロンが運んで来たに違いない。
「……ここは、ラゼリア城ですよ。一階の一室をお借りしました。親類が会いに来たからと嘘をついてね」
つまり、客間の一室らしい。どうりでラフィンが知らない部屋のはずだった。
ベッドが普段より柔らかく、広さのあるつくりをした部屋に、何点かの調度品が置いてあるのもそのためだろう。
「どうしてそんな嘘をついてまでこの部屋にあなたを運んだかって?……だって、あなたときたら完全に気を失っちゃってて、とても兵舎の二階の僕の部屋まで担ぎ込めそうになかったんですよ」
 勝手にぺらぺらと喋るナロンに、ようやくことを呑み込んだラフィンは呟くように言った。
「……ほうっておけば良かっただろう、俺など」
「なっ、そんなこと出来るわけないじゃないですか」
 嘘だ。嘘に決まっている。
あの丘の上であんな醜態を曝し、愛竜にまで酷い仕打ちをした自分など、あのまま裸で打ち捨てられたまま、野犬に四肢を食われてしまえばよかったのだ。
「っ、……ガルダは…………」
「そんなに心配しなくても、あなたの竜は元気ですよ。だって、気を失ったあなたと僕を背に乗せて、城まで運んでくれたんですから」
「な………!?」
 ナロンが告げた言葉に、ラフィンは安堵どころか愕然とする。ガルダが自分以外を乗せた。その事実がラフィンに深く突き刺さる。
「……っ……そんな…………」
「ラフィンさん?」
 突然俯いてしまったラフィンを見て、ナロンが不思議そうな目をする。ラフィンは苦悶している。
目の前のこの男に服従することを選んだガルダが、もはや自分を主人として認めてはくれないということは明白だ。それほど、俺の見せた態度は最低だったのだ。
ラフィンは自分に残されていたただ一つのよりどころさえ失ってしまった悲しみを知り、絶望した。
「?……。あ、そうだ、これ」
 ナロンが懐から取り出したのは鎖の付いた笛だった。
「あなたの服のそばに、落ちてたので」
「!!」
 ラフィンはそれを見るなりナロンの手からもぎ取った。間違いない、それはガルダを調教するのに使用してきた飛竜の笛だ。
迷わずラフィンはベッドの前の窓に走りよった。
「なっ!?」
 ラフィン突然の行動にナロンは心底驚いた。何も身に着けていないことを恥じる様子もなく、ただ無我夢中で窓を開けようとしている。ナロンはラフィンがそこから逃げようとしているのだと思い込み、捕まえに走った。
しかし、ラフィンは窓を開けてもそこから外に出ようとは考えていなかった。それをナロンもすぐに察知する。
なぜなら、彼は先ほどナロンから奪い取った笛を口に咥え、青い空に向かって高らかに吹きはじめたからだ。
甲高い笛の音に、ラフィンの悲痛な声が混じる。
「ガルダ……!降りてきてくれっ!ガルダ!!」
「すまなかった、本当に、……俺は、おまえに……!なんてことをっ……!」
 しかし、ガルダはいつまで経っても姿を見せることはなかった。
(ラフィンさん……………。)
 ナロンはそっと、身を乗り出しているラフィンの脇から手を伸ばして部屋に引き戻すと、窓ガラスを閉めた。
「っ!………」
「あなたが呼んでも、ガルダは戻って来ません。……つまり、そういうことですよ」
 今頃、どこか遠くの空を飛んでいるんじゃないですかと言うナロンの言葉は、ガクリと膝をついたラフィンの身体を空虚にすり抜けていく。
「あなたのあんな姿を見て、もう服従しようなんて思えなくなったんでしょうね。……でも、僕はそれが正常だと思いますよ」
「………そん……な…………………」
「さあ、ベッドにお戻り下さい。薬を塗らなきゃ」
 しかし、ラフィンはまだ窓の外を見つめていた。
目を凝らして、ガルダの影を探す。
と、それを遮るように窓の鍵を厳重に締める音が響くと、赤いベルベットのカーテンが閉じられた。ジャラ、とレールが硬質な音を響かせる。
 それでもラフィンは呆然とした表情のまま動こうとしない。
ナロンはまったく……と声をもらすと、強引に、ラフィンの手に握られたままの笛を取り上げた。
「何をする!」
「もう必要ないでしょう、これは」
パキ、と、乾いた音がする。
一瞬のことだった。ナロンはその笛をラフィンの目の前で折り砕いたのだ。
スローモーションのように、その破片がゆっくりとラフィンの目の前に落ちていく。
「…………………うぁあああああああっ」
 部屋中に怒号が響き、ラフィンは憤慨した。
床を拳で殴りつけ、ひたすら暴れる。大事なものを取られた子供のように顔を真っ赤にして叫ぶラフィンだったが、ナロンはまるで動じなかった。ただ無機質な目を向けるだけだ。
 いつしか、ラフィンの怒りの声は小さくなり、うずくまって身体を震わせるだけになった。自分とガルダを繋いでいた架け橋さえもナロンに粉々に破壊されたことに、涙を流さずにはいられなかった。
「ベッドに戻って。ラフィンさん」
ナロンの声に、ようやく動く気になったのだろう。
泣き濡れた顔を上げ、ラフィンは先ほどまで寝ていたベッドにとぼとぼと向かい、しわくちゃになったままのシーツへ乗りかかった。
「そのまま、四つんばいになってよ」
「………………。」
 ナロンに背を向ける形で座していたラフィンは、無言のまま前に向かってくず折れ、シーツに顔を押し付けた。
揃えていた両膝を片方ずつ横に開きながら、腰を上げていく。
「もっと高く上げて。見えない」
「ッ……う……ぅ………」
ナロンは後ろからその尻肉に手をかけると、ぐいぐいと引き上げる。膝が浮き、さらに足を広げてつま先で立つような格好になると、ようやく手が離れた。
ラフィンの秘部は赤く充血し、その粘膜の様子がありありと部屋の明かりに照らされていた。
「塗っていきますね」
 炎症を抑えるクリームをチューブからひねり出し、人差し指と中指に巻きつけると、口をあけているそこに押し付けた。
ヌルリと濡れた感触に、ラフィンはガルダの舌の感覚を思い出さずにいられなかった。
「……ああっ……いやだぁっ………」
「嫌でも、塗らないと痛くなるだけですよ。ガマンして下さい」
 ナロンの手は腫れたそこを勤めて事務的に撫で、薬を肉に絡めていく。
だがその甘い刺激にラフィンは「ああ……」と声を上げた。細胞がざわめきたつ感覚を感じまいと、ブルブルと頭を振り乱すが、時折ぴりりと走る痛みがさらにそれを甘美なものにした。
「……はい。終わりましたよ」
 すい、とあっけなくナロンの手が後孔から離れていく。
 もう終わりなのかと、ラフィンはそろそろと首を後ろに回し、ナロンを覗き見る。
するとチューブの蓋を閉め終えたナロンと目が合った。
「もう、終わりましたって。いつまでその体勢を続けるつもりですか」
呆れたように言われ、慌てて広げたままだった脚を閉じる。しかし疼きはなかなか引かず、ラフィンは恥ずかしさと悔しさで顔を赤くした。
患部に薬を塗られる。たったそれだけで身体は反応してしまうようになっていた。
ベッドの脇に落ちてしまっていた掛け布団を拾い上げ、乱れたシーツを整えたナロンは、「今日は安静にしていて下さい」と声をかけた。ラフィンはそのまま横たえさせられたため、ようやく、部屋は静けさを取り戻す。
「……今日は、あなたに付ききりでお世話をしますよ。」






ナロンはベッドの横に置いた椅子に腰掛けて、読書をしている。ラフィンが起きてから、一時間は経っていた。
「……………腹が減った」
不貞腐れたようにそっぽを向いていたラフィンの呟きに、ナロンは目を丸くして紙面から顔を上げる。
「じゃあ僕、何か作ってきますから、ちょっと待ってて下さい」
 言うや否や、ナロンは立ち上がって部屋から出て行ってしまった。無言のままシーツに伏せるラフィンはその姿を見ようともしなかった。

さらに半刻ほど時が経ち、うとうとと再び眠りかけていたラフィンの鼻腔を、香ばしい匂いがくすぐった。
「……………。」
「お待たせしました」
 ナロンは手に持っていた盆を一端机に置くと、ベッドに備え付けられているコマの付いたサイドテーブルをゴロゴロと引っ張ってきて、その上に盆を置きなおした。
再びそれを押してラフィンの横まで運んでいく。
「あんまり大したものは作れませんでしたけど」
少し照れながら言うナロンは、さあ、とラフィンの上体を起こそうとする。しかしラフィンはそれを鬱陶しく払いのけ、臥せったままだ。
「どうしたんですか?」
 あんまり腹がすきすぎて気分でも悪くなってしまったのかと、ナロンが尋ねる。
「ふん……お前の作った料理など……何が入ってるか知れたものじゃないからな」
 無粋な表情でラフィンは鼻を鳴らした。
「……そんなもの、食う気になれるか」
 そっぽを向くラフィンだったが、腹の虫がきゅうきゅうと音を立てている。やはり腹をすかしているんじゃないかと、ナロンは困った顔をする。
「大丈夫ですよ、ちゃんときれいに手も洗って作ったし……、毒とか入れてないですから」
 しかし今のラフィンにナロンの言葉を信じろというほうが難しかった。前例もある。
とにかく、ナロンから食い物を貰う気は全く起きなかった。
「ほら、卵焼き。おいしいですよ」
 ナロンは柔らかいそれをやや大きめに切ると、箸でつまみ、ラフィンが見ているのを確認してから食べて見せた。
「ね、僕も一緒に食べますから……」
「いらん、いらんと言って……」
 無理矢理そのナロンの歯形が付いた卵焼きを口元まで押し付けられ、空腹に身をやつしたラフィンはそれを思わず口に入れてしまう。
途端に、甘ったるい卵の味が舌に染みた。
(……何だ、この味は………)
 無意識に飲み込んでしまったそれは、砂糖をふんだんに使っているようだった。ラフィンの大嫌いな味だ。
こんなもの食事ではない、お菓子だと、不愉快になる。
「ね、おいしいでしょう」
「不味い」
「え、」
 眉をしかめるラフィンは、本当にそれが口に合わないということをナロンに伝えていた。
「……こんな甘ったるい卵焼き、俺の口には合わん」
 ぶっきらぼうにそう告げる。
「あ……。すみません……醤油か塩をもってきましょうか」
「いらん!」
 馬鹿じゃないか。卵焼き自体が甘いのに、そんなものをかければ益々変な味になるだろう!、と続ける。
「………そうですね、すみません……」
 やっと反省したらしく、ナロンは残ってしまった卵焼きを食べていた。
「今度は砂糖をそんなに入れませんから」
 ナロンの言うことにラフィンは首を小刻みに振った。
今さら砂糖ではなく醤油と塩だけで作れとも言えず、ため息をつく。こんな調子じゃあ、横に並んでいるパンも、野菜の入ったスープも、全て甘い味なのだろう。
「食べませんか、ラフィンさん」
 しかし一度食べ物が入った腹は、しきりに次の食物を欲しがっていた。……背に腹は換えられない。
「……水をくれ」
 ナロンはすぐに水さしからグラスに水をあけ手渡すと、ラフィンはそれを一気に飲み干した。
「もう一杯」
「ラフィンさん、水で腹を膨らます気ですか」
「……違う。食って、すぐ水で流すんだ」

 ナロンの手からとりあえず昼食を与えられたラフィンは、強い光が差してきたカーテンの隙間をつまらなさそうに見ていた。身体はだるく熱を持ち、特にベッドから降りて何かする気は起きなかった。
ナロンの言うとおり、今日は安静にしておくことにしたのだ。
しかし、徐々に先ほどたらふく飲んだ水のせいか、膀胱が重くなるのを感じる。
「……ナロン」
「はい?」
 空になった食器を片付けに行った後、ナロンは昼食前と変わらず、ラフィンの隣で本のページを繰っていた。
「……便所に行きたい」
 恥ずかしげもなくラフィンは言った。何も言わずベッドを降りてもよかったが、どうせ扉には鍵がかけられているのだろう。そのため、素直にナロンへ要求したのだ。
「ああ、トイレならその扉を開けたところにありますよ。」
 あっさりとそう返すナロンに驚きながらも、ラフィンはその言葉に裏はないのか、慎重に聞き返す。
「……鍵は。それに……俺に裸で廊下に出て行けとでも言うのか」
「扉なら、開いてますよ。それにこの部屋の続きにバスと一緒になったトイレがありますから、廊下に出なくても用を足せます」
 そう聞いてもラフィンはさらに「本当か……?」と聞き返したくなった。いや、しかし疑心暗鬼になるにはナロンの態度がそっけなさすぎる。
「……分かった」
 ギシ、とベッドからラフィンは身を起こすと、足をふらつかせながらもその扉へと向かった。もう十分に陵辱され、度重なる痴態を見せたことで、あいつはもう俺の排泄くらいじゃ興味を抱かなくなったのだろうか……と、ナロンの思念を探りつつも、ノブに手をかける。
 手の中のそれは、押しても引いてもガチャガチャと音を立てるだけだ。
「………おい」
ああ、やっぱりかと悟ったラフィンはナロンを睨む。
しかしナロンは悠然とした様子で読書を続けているため、その視線に気づかない。
よくも嘘を吐いておいて、いけしゃあしゃあとしていられるものだと、無性に腹が立った。
「おい!開かないぞ!!」
ナロンに聞かせるようにラフィンが叫ぶと、え?とナロンがラフィンの方を見やる。
「どうして。鍵はかかってないって言ったでしょう」
この期に及んでまだナロンはしらばっくれている。
「嘘を吐け!……おい、おいっ!!誰か、開けてくれ!!」
 ラフィンは廊下まで響くほどの大声を張り上げた。
もうナロンに何を言っても無駄だと分かり、廊下を通る誰かに自分の存在を伝えようとした。これ以上、信用ならない男に従う気はない。
もし救いの者が現れれば、ラフィンはこれまでナロンにされた仕打ちを全て暴露し、あいつを糾弾するつもりでいた。
「おい、誰か!!聞こえないのかっ!!助けてくれ!!」
 バンバンと扉を叩きつけても、その音が止めば周りは物音すらしなくなる。何かおかしい、とラフィンは気づき始めたが、それでも萎えはじめた自らの気持ちを鼓舞するように声を張る。
「誰か……うっ、ゲホッ……、誰か、ここを開けろ……!」
 すっかり渇いた咽が掠れ、堪らず咳き込んだ。
手で口を押さえた時、厚い木の板を叩きすぎた拳がじんじんと赤く腫れ上がってしまっていることに気づく。
背筋に寒気が走る。尿意のせいだけではない。
「うう……っ」
 ラフィンはうなだれる様にその扉に両肩を付き、その向こう側の気配を感じ取ろうとする。だが、聳え立つ冷たい扉は、部屋の向こう側のことを何も伝えてはこなかった。
(……何故だ……っ……なぜ、誰も来ないんだ……)
 自分をとりまく全ての者が敵になってしまったような気がし、悔しさに歯噛みした。
俺が何をしたと言うんだ。
身体が段々と震えだす。下肢に伝わる疼きも、もう限界まで迫ってきていた。
ふと、ラフィンはナロンのいる方を恐る恐る振り返った。喚き散らす姿をずっと見ていたはずのナロンに、結局縋るような目を向けてしまう。
もう許して、ここを開けてくれと。
しかしナロンは、読んでいた本を置きはしていたが、サイドテーブルに頬杖を付き、ただ面白そうなものを見るような目で、ラフィンを眺めていたのだ。

「……ぅ……う……」
 ラフィンの体躯が震える。さっきまで上げていた声からは考えられないほど弱弱しい声の後に、ジョロ……と水の落ちる音が続いた。
 扉に上半身を預けたまま両膝をついていたラフィンは、その姿のままついに失禁してしまっていた。
勢いよく噴出した熱い奔流は、当然その扉に叩きつけられて非常に大きな音を立てることになる。それがラフィンの羞恥を煽った。
(こんなところで………おもらし……なんて………)
独特の臭気がしぶきと共に撒き散らされ、扉の下部分に染みこんでいく。木製のそれが濡れて色を変えると、部屋の端まで敷かれていた絨毯にまで染みが広がっていった。
(嫌だ……!ナロンに、ナロンに見られる……っ)
 絨毯の染みはあからさまにラフィンの失敗を告げるべく、股の間から後ろに向かって伸びていった。
止めることのできないそれに、ラフィンは「ひぃ……」と、情けない声を上げた。
 ジョロロ………ピチャピチャピチャ………
 激しい放尿の音は部屋に響き渡り、ラフィンはナロンが立ち上がってすぐ後ろまで近づいてきていたことにさえ気づかなかった。
「……違う。こうやって、開けるんですよ」
「!!」
 ガチャ、とそれまでびくともしなかった扉が開く音が水音に混じって聞こえた。後ろから伸びてきたナロンの手は、一方は飛び上がって驚くラフィンの胸を抱き、、もう一方は扉を横に開いていった。
 ガラガラとレールを転がるような音と共に移動する扉の下部には、ホースを横に振った時のように濡れた尿の跡が刻まれた。
ラフィンの視界が開け、そこに現れた誰もいない部屋の光景を目の当たりにする。同じく高級そうな絨毯が敷かれたその部屋にまで、ビチャビチャと水温が響きわたった。
「ぁああ……!!いや、いやだぁっ」
まだ止まっていなかった流れは、遮るものが無くなったせいで大きく放物線を描き、絨毯の広範囲に黄色い染みを跳ね飛ばしている。
「ああ、ラフィンさん。ここはトイレじゃなくて、各国からやってくるえらい人をお出迎えするための応接間ですよ」
「っ…………っぅ………!」
まるで便器の中に目がけてするように小便を降り注ぐラフィンの姿に、ナロンはしょうがないなぁというように微笑んだ。
「各国から要人を呼んで大事な話をするのだから、この部屋は密偵にすら聞き取ることができないくらい、完璧に防音されてるんですよ……」
 ナロンの説明が終わるころ、さんざん排泄物を垂れ流した先端は、チョロ……と最後のしずくを落とした。
ゆえに、ラフィンはナロンの言っていることを何も理解できていなかった。
腕の中でただ子供のようにすすり泣き始めるラフィンに気づいたナロンは、ふと粗相の跡をまじまじと見渡す。その光景たるや、見るも無残であった。
バケツの水をひっくり返したように濡れかえる絨毯。そして、少し扉を引き出してみると、溝の隙間から水が溢れ出す始末である。
(これ、全部僕が始末してあげなきゃいけないのかな……)
 とんでもなく労力を使いそうなので、その考えは却下した。
なあに、明日になれば部屋の給仕が真っ青になりつつなんとかしてくれるだろう。そういうことにして、ナロンは開け放った扉をガラガラと閉めた。
崩れ落ちるラフィンをその場に残し、ナロンはとりあえずの後始末をするべく、水差しと、部屋にあったタオルを取った。
ラフィンの身体に飛んだ汚水をきれいにふき取ってやり、申し訳程度に扉を拭うと、絨毯にそれを広げて置いた。
タオルはみるみる水気を吸って、むところさえなくなってしまう。
これは部屋から出るとき踏まないように気をつけないと……とナロンは焦ったが、ラフィンの出したものだと思えばその染みの一つ一つまでが愛しくなってしまうから困る。
「ラフィンさん、スッキリしましたか?」
 ベッドに沈まされたラフィンは鼻の先を赤くして、しゃくり上げている。握った手を目元に持っていき、いやいやをする仕草が愛らしい。
「もう……。あなたはいつもそれだ。善い時に限って、嫌だと言う」
 掛け布団を着せ掛けてやると、今度はそこに顔を埋めて震えた。あれでは布団が涙と鼻水まみれになってしまうだろう。
「本当はおしおきをしてあげなきゃいけませんけど、今日はあなたの体調のこともあるし、しませんよ。だからちょっと落着いて下さい」
 ナロンが椅子に腰掛けながら、ラフィンの頭を優しく撫でている。
その温もりを感じたのか、すすり上げる声は次第に、規則正しい寝息に変わっていった。






 真っ黒な闇からまた光が差し込んだ。
目が熱い。瞼が重い。
「あ、起きましたね」
 窓は開け放たれて夜の闇を覗かせていた。
夜風に混じり、アンモニアの刺激臭が鼻を掠め、またじんわりと頬が赤くなった。
「まったくもう。あの後、やっぱり部屋に臭いが篭もって堪らなくなったから、僕が掃除したんですよ」
 見て下さいあれを、と指し示されたのは、先ほどラフィンが小便を垂れたあの扉だ。
まだくっきりと濡れた場所を示す染みの残ったそれから、ラフィンはすぐ目をそらした。
「少しは反省してください」
 腕まくりをしたナロンがそう告げている。
眠ったことで幾分か冷静さを取り戻したラフィンは、元はといえばナロンが扉を開けてくれなかったせいだと、微かに苛立ちを覚える。しかしそれを訴えれば、まるで自分に責がないと言い張るようなものだ。ナロンにはひどく子供じみて見えるだろう。
だが、扉を横に開けるなど考えもしなかったのだ……。
「……煩い」
 小さな呟きであったが、それをナロンはしかと耳に挟んでいた。
「ちょっと、ラフィンさん。全然反省してないみたいですね。……やっぱり今からおしおきしましょうか」
 むすっとしながら、ナロンはラフィンの掛け布団を一気にめくり上げた。仰向けの上半身がその下から現れ、剥き出しの乳首に光るピアスを軽く引っ張ってやる。
「!触るなっ……!ぃっ………」
 ピン、ピンとピアスの輪の部分に指をかけて引かれた後、中心にある丸い柔らかな豆をこね回された。
「ぁ、あっ……止めろぉ……っ…………」
「あれ?前より大きくなってません?乳首。」
 ぎゅ、と摘まれる鋭い刺激に、ラフィンはあぁあ……と切なげな声を上げる。
「ほら、僕のと比べても、随分大きいし……まるで女の人のみたいですよ」
「んっ………そんな……わけ……」
 しかしラフィンは改めて見た自らの乳首の大きさに驚きを隠せない。ナロンの胸元から覗いている小さな突起でしかないものと比較すると、明らかにその倍以上は膨らみ、刺激によって立ち上がっているのが見て取れた。
「こうやって搾ったら母乳がでたりして」
「や………!は、ぁっ!痛っ………」
 ぎゅうぎゅうとそこを抓られ、ラフィンは顔を赤くしながら痛みに悶えた。
「痛い?じゃあ、吸ってあげましょうか」
 言うやいなや、ナロンがラフィンの乳首に吸い付いた。
「あぁっ………ぁ………」
 生暖かいナロンの口は全体を吸い上げた後、ピアスごと舌で転がされるように弄りはじめる。その刺激により身体の奥に小さな火が灯るのをラフィンは感じた。
 そこをナロンが味わいつくし、ようやく口を離したときには、ラフィンの下腹部にある雄根はすっかり立ち上がってしまっていた。
「あれ、……これ、なあに」
「っ……」
 その箇所を指差され、ラフィンの身体が震える。
「ラフィンさんは男なのに胸でも感じちゃうんだね……。これじゃ、おしおきにならないな」
「そ、そんな訳が……!これは………」
 しかし、身体の内に生まれた感覚を否定することはできなかった。
「いつも痛い、痛いって言うだけなのに、今日はどうしたのかな?舐めてもらうのが、好きなの?」
 まるで子供に問いかけるような口ぶりをされ、うう…とラフィンは呻く。ナロンにされているのに、気持ちよくなってしまうなど、あってはならない。
だが、身体はさらなる熱を欲しがっていた。
「!あっ」
 尻にナロンの指が這わされるのを感じ、ラフィンが小さく叫ぶ。しかし指は優しくラフィンの入り口を円を描くように行き交い、ゆるゆると刺激を始める。
「……あなたとガルダの姿を見ていて、僕は心底、妬いてたんですよ」
「………?」
 突然の言葉にどうしたのかと見上げるラフィンを尻目に、ナロンはさらに続ける。
「ここをあんな風にされて……あんなに気持ちよさそうな声を上げるラフィンさんを、僕は始めて見た。……だから今日は、僕もガルダに負けないくらい、あなたに感じてもらうつもりです」
「!!な………」
 後孔を弄んでいたナロンの指がぬるりと中に差し入れられた。しかし痛みはない。いつのまにか塗られていたクリームのせいだ。
「はっ……!止め、………抜けっ……!」
 いつも性急に、中を掻き回すように動くはずの指は、今日はまるで違う動きをしていた。内壁を優しく撫で、擦られて、ラフィンの腰に甘い疼きが重く響く。
(止めろ……そんな風に、触るな………)
 ともすればじれったくも感じるその指を、ラフィンは無意識に締め付けていた。そして、もっと奥へ、奥へと銜え込もうとする。
「善くなってきた?ラフィンさん」
「誰がっ……っ、………く」
「嘘。だって僕の指、離す気ないでしょう」
 ナロンの指が増やされる。それに喜び立つようにして粘膜がざわざわと震える。ペニスは完全に勃ち上がってしまっていた。
「……っは………ん………」
 ついに鼻から抜けるような声が出てしまい、ラフィンは恥じ入った。しかしナロンは嬉しそうな顔をすると、さらに指を増やす。
「ぅうっ……!」
 質量を持ち始めたそこに、苦しさはない。刺激に飢えた身体は、とうとうその指に催促をし始めた。もっと動いて、中を弄って欲しくてたまらない。
(どうして……こんな、こんな奴の指に………!)
 あの薬がまだ身体から抜けきっていないからだ。きっとそうだと、ラフィンは必死でそれを否定する。
「腰、動いてますよ」
「っ……う、うるさい………っ」
「顔もまっかっか。ここと同じくらい」
 ナロンが腹の上で涙を流しっぱなしのものに手を触れたため、ラフィンは甘い悲鳴を上げた。
「ぃや………ぁあ……っ」
ナロンの指先は肉棒を扱き上げて、そこをますます高ぶらせていく。括れに指が引っかかり、先端をもみこまれ、ラフィンの口からはひっきりなしに嬌声が上がる。
(……違う!こんなのは俺じゃない。違うんだ!!)
下肢に絡み付いてくる快感を追い払おうと、必死でかぶりを振った。柔らかな髪がシーツに舞い、震える手は頭の上で枕の端を手繰り、しわが寄るほど強く握られている。
ナロンから見ればその姿は、感じていることを明らかに伝えているようなものだ。
と、しばらく動かしていた指を静止させてみる。
「……っ、………………」
あんなにも自身を蹂躙していた指がぴくりとも動かなくなった。ラフィンの身は楽になるどころか、皮膚を焦がすような切なさに震えが止まらなかった。
ラフィンは恨めしそうに、下腹部を見やる。ナロンの手は先端から溢れる蜜液でしどどに濡れていた。
「どうしたの?」
クス、と笑いかけるナロンに、「お前こそ、どうして動かないんだ!」と怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られる。 
しかしそんな真似をすることはラフィンの理性が許さなかった。ぐっと口を噤み、こらえる。
「もう抜いてもいいの?」
「………!」
 ついに後孔に埋まっていた指がぬぽっと音を立てて引き抜かれてしまった。それだけならまだしも、熱い指は皮膚の薄いところをなぞり始めたため、内股が痙攣し、腰が浮いた。
「……ほら、どうして欲しいのか、ちゃんと言えたらすぐに満足させてあげますよ」
「………っ………れが……っ………」
 意地悪くそう言ってくるナロンが憎らしくて、脚で蹴りつけようとする。しかし力の入らない脚は脇腹をかすめただけで捕らえられ、暴れないで下さいと、軽くペニスを弾かれてしまった。そのわずかな刺激でさえ、今のラフィンを苛んだ。
「……ふ…………っく……………………」
 ラフィンは目を閉じ、それを忘れようとする。だがナロンの指を、刺激を渇望してやまない身体を鎮めようとすればするほど、我慢がならない。一度ついてしまった火は燃えさかって、手がつけられなくなっていた。
(…………違う……薬のせいだ。あの薬の……)
 それでも、ラフィンは決してナロンを認めようとはしない。さもなければ、あらぬことを口に出してしまいそうだった。
『もっと、触って、中を掻き回してくれ!』………と。

「……意地っ張りだね、ラフィンさん」
「っ……く……」
 ナロンの手が、優しくわき腹を撫でていく。顔を火照らせ、身を震わせながらも、ラフィンは口を真一文字に結んだままだった。昨日、あれだけの目にあっておきながら、快楽に屈しそうにないラフィンの姿を見てナロンは苦笑した。
「……分かった、僕の負けです。」
 そう告げると、ナロンはラフィンの両足をしっかりと抱え込んだ。
「……!?」
「やっぱり僕は………敵いませんね。」
 後孔に熱くぬめったものがあてがわれ、ラフィンは息を呑む。ナロンのペニスだ。
「……っ!ゃ、止め」
「お望みどおり楽にしてあげますから」
ナロンがラフィンの方へ前のめりになると同時に、ペニスが入ってくる。散々弄ばれたそこは柔らかく、それを迎え入れた。
「ぅあ!……あっ!!!」
刺激を待ちわびていたそこは、ラフィンの意思と関係なく、怒張したそれを嬉しそうに締め上げた。熱さと痺れで全身が溶けそうになる。
ナロンのものはやはり、いつもの勢いだけで突き入れるような動きをせず、ラフィンの様子を伺いながら確実にそれを満たしていく。息が上がった。
「すごい……熱いですよ、なか……」
「……ハァっ……やっ、あ…………」
だが、優しいその動きはラフィンの中で次第に物足りなさを増長させていく。
(どうして……いつものように、動けばいいじゃないかっ………!)
 苛立ちのようなものがラフィンの胸にわだかまった。今までこんな風にされたことはない。こんな風に、尻を掻き回されて気持ちいいと感じたことなど……
「っ……ロ…………」
 ラフィンは知らず、その名を呼んだ。
「何……?」
 ゆるゆると腰を動かしつつ、ナロンはそれを聞き逃すことなく首を傾げて見せる。熱い吐息が胸にかかるだけでそこが泡立った。
「………………………っと………。」
「……えっ……?」
「もっ………と……!………奥……っ!」
 耳まで赤くして、眉を苦しげに顰めたその顔がナロンの胸元に飛び込んだ。シーツを握って離さなかった手が、ナロンの腕をぐいぐいと引っ張っている。
「ど……したっ………!動け、もっと、動けよっ……!……いつものように、俺に、いつもするようにっ」
「ラフィンさん……!」
 涙声の混じる苦しそうな叫びは、いやが上にもナロンの衝動を煽った。腕に縋るラフィンの手をぐっと捕まえると、腰を突き出してやる。
「ァ、ア!……っ!ハァ、ぁあ……!」
 中の動きに応えるようにしてラフィンも腰を揺らした。
 身体の中心で快楽が弾け、閃光に目が眩む。もう何も考えられなかった。
「ラフィンさん、ラフィンさんっ……」
 若いナロンは自身に絡みついて離さない淫肉に酔いしれ、ただがむしゃらに腰を動かした。それが、ラフィンをいっそう満足させた。
ハァハァと荒い息の合間に甲高い喘ぎが響く。
甘く耳を犯すその声の元を封じようと、ナロンがラフィンの口に唇を寄せた。
「っ………ん……っ………ふ……」
 柔らかい唇の感触に酔い、ラフィンは吸い付くように顔を寄せる。きっとすぐに舌が差し入れられるのだろうと思い、薄く口を開けようとするが、それは押し付けられたまま時折濡れた表面をチュッと啄ばむだけだ。
 熱に浮かされたラフィンの思考は、ただただ欲望に忠実になってしまっていた。あれほど嫌気の差していたはずの行為を受け入れ、それでも足りないと鳴いた。
「んっ……ラフィンさ……!」
 ラフィンはナロンの頭の後ろに手を回し、自分の方へ抑えつけた。ナロンが驚いた拍子で顎の間に空いた隙間めがけ、斜交いに噛付いた。初めて味わったナロンの口腔内は熱く濡れ、それはナロンもラフィンに対して同じ気持ちであった。
「んむっ………ん……」
 口角から涎が落ちるのも気にせず、ラフィンはナロンの舌を捕らえると、自身の舌を絡め、音を立てて吸った。ラフィンの動きに誘発されたのか、ナロンもラフィンの舌が離れると、それを追ってピチャピチャと唾液を絡ませていく。
「はぅ……んっ……んむっ……ん……!」
 甘美な行為に、全身が空に浮かぶような高揚感に包まれる。身体を弛緩させていると、再び最奥に突きつけられた肉によってなすすべもなく理性は崩落した。
身体の中心に血が集まり、欲望の滾りを吐き出していく。同時に激しい痙攣が起こってナロンのものを締め付けたため、内壁にも熱いたぎりが注がれた。
「ン、ンッ……!…………」
 それでも、ラフィンはナロンの口から離れようとしなかった。  部屋の中は汗と生臭さ、そして微かなアンモニア臭が交じり、その濃厚さに息をするのも苦しかった。
「…………ハァ……ハァ…………」
 ラフィンは仰向けの胸を大きく上下させて喘いでいた。
 嵐のような甘い快楽が去り、身体に残った熱を冷まそうとする。後孔から柔らかくなったナロンのものがようやく抜け落ちると、大きく息を吐いた。
「すごい……僕、あんなの初めてだ…………」
 興奮した様子でナロンが呟く。その口にべっとりと付いたままのラフィンの涎を、ぺロリと舐める。
「……まさか……ラフィンさんがあんな……………。」
 ナロンは何度も口を押さえ、動揺を隠せないでいるようだった。その様子を眺めていたラフィンがあることに気づく。
「………何だ……?おまえ……ディープキスを知らないのか」
「え?」
 予想通りの反応に、ラフィンは薄く笑った。やはり、この若い男はキスといえば唇を重ねるだけのそれしかしたことがなかったのだ。実際、これまでそうされたことしかない。
「……そりゃ、ラフィンさんの方が僕より年上ですし、僕が知らないことを知っていてもおかしくないですよ」
 少々唇を突き出した不満そうな顔は、昨日あの丘で見た時の顔と同じだった。少年らしい、純粋な。
「ふ……俺がお前の年くらいの頃には、経験していたぞ」
「…………。」
 からかうつもりでそう言ってやると、ナロンはついに黙ってしまった。無言のままくるりと向きを変え、ベッドから降りるとカーテンを開き、窓を大きく開けた。
「……!おいっ……」
 ラフィンは焦ったが、身動きが取れそうもないくらい重い腰がベッドに根をはってしまっていた。
「換気しないと」
「っ、そんなに開けて、誰か気付きでもしたら……」
「大丈夫ですよ」
 悠々と、ナロンはラフィンの元に戻ると、すぐ横に腰かけた。
「今日はね、リュナン様の元にホームズさんたちが合流した記念に祝賀会を開いているんですよ。大広間でね」
「……何?」
 しばらく動かしていなかった頭を回転させ、やっと理解した。だからナロンは一日中ここにいられるのだ、とも。
「今頃、皆さんたぶん宴会で浮かれちゃってますよ。ですから誰もこんな所まで来やしません」
 窓の外は深い闇と、星が瞬いていた。窓のすぐ横には蔦が伸びていて、少し薄気味悪い。確かに、誰も近づきたくはないだろう。
 大広間での祝賀会。ここラゼリアに至るまでも、大きな対戦を控えた時などに兵たちを鼓舞する意味で何度か開かれていた。義妹のエステルやサーシャ王女が着飾って、慣れない酒を手にくるくると踊っていたのを思い出す。
「…………お前は、行かなくても良かったのか」
「え?……今さら何言ってるんですか、ラフィンさん」
 それもそうだ。だが、聞かずにはいられなかった。
「お前、俺以外の者に好意を持ったりはしないのか……………?」
「ええっ?」
 正直、ナロンが何故自分に執着するのか、分からなかった。リュナン軍は軍隊といっても珍しく、若い女が多い。ラフィンが見る限りそこそこの容姿をしたナロンならば、女に苦労することはないはずだ。
「お前……女に興味はないのか」
 ナロンの背中に語りかけてみる。
「そりゃ、僕だって男ですから、かわいい女の子は嫌いじゃないですよ。あなたの妹さんも、おきれいですし」
「………………。」
「でも僕は、他の誰よりもラフィンさんが好きなんです」
 恥ずかしげもなく言い切られ、逆にラフィンがむず痒くなる。
「ですが」
 声のトーンが落ちたのを察した。
ナロンが振り返ると、先ほどまでにはない悲しげな目をしていた。
「……僕はあなたに色々とやりすぎてしまったと、気付いたんです」
「…………………ナロン?」
 ナロンの手がラフィンの髪に触れる。ラフィンは逃げなかった。どういうことだと、その目を覗き込む。
「この戦争が終わったら……僕はヴェルジェへ戻るつもりです。でも、あなたは違うでしょう」
「それは……」
 故郷のバージェを思い出し言いよどむラフィンを、ナロンはじっと見据えた。
「だから、今日で……終わりにします」
 
ナロンが一瞬何を言ったのか、分からなかった。
終わり。それはつまり――。
「これまであなたを苦しめて、ごめんなさい」
「何を、言って………」
「ラフィンさんをあんな風に抱けて、嬉しかった」
 ぽた、と雫が胸に落ちた。ナロンの涙だった。
 これも外しますねと言うと、両胸のピアスに手をかけ、パチンと金具を外す音がした。あれだけしっかりと穿たれていたはずなのに、いとも簡単に、乳首から抜けていく金の石に視線を取られた。
「ごめんね。痛かったでしょう」
「………っ」
 ぽっかりと穴の開いたそこを優しくなでられ、背筋が震える。しかし、それ以上ナロンが身体に触れることはなかった。
待ち望んだはずのナロンの言葉。しかしそれは、ラフィンの心に重く響く。
「……待て、どこへ行く気だ!」
「え」
 身体を離したナロンの腕を強く引っぱる。
「今日一日……お前は俺の面倒を見ると………言っただろうが」
 それはラフィンの元々の本意ではなかった。しかし、そうでもしなければナロンを引き止められないと思ってしまったのだ。
でなければ、感情に歯止めが利かなくなる。
「……そうでした。すみません」
 ナロンはさっと涙を拭うと、床に落ちた掛け布団を拾い上げ、ラフィンにそっとうちかけた。
「あなたが眠るまで、横にいさせて下さい」
 椅子に腰掛けるナロンをじっと確認しても、ラフィンの心はざわめいていた。
さっきの言葉が、奴のついた嘘だと信じたい自分がいる。
(馬鹿な……何故、俺は…………)
 締め付けるような胸の痛みは、これまで感じたことがない部類のものだ。不安でたまらない。
 たまらず、ラフィンはナロンに手を伸ばした。
「……ラフィンさん?」
「握って……くれ…………」
「はい」
 ナロンがその手をむ。ラフィンの手より小さく、細い指をしていた。この手が触れていたのだと、ラフィンは強く強くそれを握りこんだ。離すものかという風に。
ナロンは、何も言わなかった。



 翌朝、窓から差し込む光にラフィンが目を覚ますと、既にナロンの姿はなかった。
サイドテーブルには、見覚えのある服がきっちりと畳んで置いてある。ベルトも皮靴も、携帯品まで何もかも揃えてあった。

 ラフィンはそれを見て、ナロンの言った言葉は本当であることを認識させられる。
終わったのだ。ナロンとのことは、何もかも。



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