[対立――リュシオンの場合]
灰色の雪を孕んだ冷たく厚い雲が日没と共に陰り始める頃、ティバーン率いる部隊はベグニオン国境を過ぎた森林の一角に夜営の準備を完了し、日が暮れる前に夕食の支度をすべく各々忙しく動いていた。
その喧騒をすり抜けるように、木々の中をぽつんと動く青白い人影があった。
影は足早に目的地である隊の先頭に設置された大きめの天幕へ到着すると、入り口の垂れ幕を少しずらして中の様子を窺う。
「――誰だ」
突如として天幕の内側からかかった鋭い声に、影の主――ペレアスはびくりと細い指を引っ込める。
しまった、とそのまま踵を返して戻ろうかと逡巡する間もなく、目の前の垂れ幕が大きく開け放たれた。
「お前は――」
「………。」
天幕の中から現れたのは、夕暮れの陰りの中にあってなお白く輝くような出で立ちの美しい風貌をした青年――リュシオンだった。
白い翼、金の髪、すらりとした体躯のその優雅で美しい姿とは裏腹に、警戒心によって鋭さを増した緑の瞳は突然の来訪者を正面から見据えている。
『白の王子』。確かティバーンの側近が呼んでいた通りの、美しい白い翼を持つラグズと直に相対するのはペレアスにとってこれが初めてだった。この世のものとは思えない優美な姿に、思わず言葉を失う。
自分も決して粗末ではない王室誂えの白いローブを纏ってはいたが、それがくすんで見えるぐらい、目の前の彼は清廉で見目麗しい姿に感じられた。
「デイン王……。何か用か……?」
「あ……」
しばしぼうっと立ち竦んでいた自らを訝しむ声がかかり、ペレアスはやっと二の句を伝える。
「ええと、…ティ……いや、鷹王は…」
「……ティバーンなら今は居ない。今夜の兵糧を得るため狩りに出ている」
しどろもどろになりつつ口を開いたペレアスに、リュシオンはきっぱりとそう告げた。問わずとも、ペレアスの目的がこの天幕の主にあることをリュシオンは知っていた。
この青髪のベオクとティバーンが最近、得に懇意にしていることも。
目の前の年若いベオク――彼もティバーンと同じく一国の王にあたる存在を邪険に扱うつもりは無かったが、理性に反しどうしても忌々しく思う故に厳しい視線を送ってしまう。
「ティバーンに何か用があるのか?」
「……いや、居ないなら、別にいいんだ」
「別にいい…だと?」
ペレアスとしてはリュシオンに気を遣わせないようにしたつもりの返答に対して、緑の瞳がみるみる怒りを孕む。
「そんな軽々しい理由で、お前はティバーンの元へ来たというのか」
「え……」
「そうやって、またティバーンを煩わせるつもりか?」
強まるリュシオンの語気に、初対面でありながら彼の癪に障る事を言ってしまったのだと察したペレアスは、重くなった空気に堪らず少し後退った。
「そんな、つもりは」
「忘れるな、デイン王……!お前の父アシュナードが、我が姉を一族の至宝と共に連れ去り、命を奪った事を……!」
リュシオンから告げられた思いもよらない言葉に、ペレアスははっと黒紫の瞳を見開く。
固く握り締められたリュシオンの手、つり上がった形の良い金の眉。目の前の鷺のラグズは、間違いなく怒りの感情にうち震えていた。
「たとえ指示したのが元老院であろうと…アシュナードはそれを是として行動に移した…!姉は、窓一つない部屋に囚えられ、命を落としたのだ」
「っ……。……すまない…、父が…そんな……」
父親の咎――最早それは事実無根に限りなく近い――そんな風に心のどこかで感じながらも、ペレアスは目を臥せてそう返すのが精一杯だった。
「……憎しみだけでは何も変わらない……そう思ってはいる。だが、お前がこれ以上あの方の…ティバーンの足を引っ張るのは、我慢ならない」
「っ……」
「お前たちデインの者は、我々ラグズ連合とアイク達、クリミア軍――そして神使の停戦の意向すら撥ね付け、愚かな戦を続けた。女神を目覚めさせる程の戦火を広げた罪は、全ての者を石に変えるという結果を招いた。私はそれを呪歌によって――何としても阻止したかった。だが、止められなかった」
「………。」
「お前は見たところ、先王のように戦に逸る気質でも、その器でもない。だが、あの無意味な戦を続けるよう仕向けたのは事実だろう!…私からすれば、あの狂王にも値する愚かなベオク――用がないなら去れ、迷惑だ」
苛烈さを増すばかりのリュシオンの言葉に、ついに黙ってしまったペレアスから戸惑いと、怯えに似た感情が流れ込んでくる。
『(お前のような脆弱で愚かなニンゲンに……ティバーンがどうしてわざわざ目をかけるのか、私には理解できない)』
古代語で吐き捨てるように告げたリュシオンは、金糸のような長い髪と白い翼をばさりと翻すと、重い幕を下ろした天幕の奥へと姿を消した。
「…何かあったか?」
半刻後、側近達と狩りを終えたティバーンは天幕へ戻ってきた。が、その中に漂う重苦しい風の流れとリュシオンの表情に、すぐに違和感を覚えた。
「……先程…。デイン王が、ここへ来ました」
「あいつが?」
リュシオンから返ってきた意外な答えに、鷹王は顎に手を当てる。
「で?俺に何か用があったんじゃねえのか」
「そう思い尋ねたが…別にないと言うので……」
「追い返したのか」
ハハッ、とティバーンがその時の二人のさぞ険悪だったであろう様子を思い浮かべ、笑みを漏らす。
「ティバーン…!笑い事ではない!あなた程の方が…なぜ、何故あんな足手纒いのベオクと関わりを持つのです?!」
「おまえが嫌だと言うなら…もう関わらねえぜ?」
飄々と応えるティバーンに、リュシオンは豆鉄砲をくらった心地で顔を向ける。
「………。いえ……。私の我が儘であなたの行動を制するつもりはない……。そんな女々しい事は、したくない」
「ほう」
「ですが……せめて理由を教えてください……」
縋るような声で問うリュシオンに、ティバーンは一つ息を吐く。
「……理由、か。そうだな……。セリノスから助け出した頃のおまえに似ているから、か」
「なっ……!」
それは再びリュシオンの機嫌を損ねそうな答えではあったが、仕方なくティバーンはそう告げてやった。案の定、真っ直ぐにこちらを見詰めていた気の強い緑の瞳にサッと翳りが差す。
「森や家族を失った悲しみと怒りで、あの頃のおまえは見ちゃいられねえほど不安定だっただろう」
「…………。」
「…ま、怒りっぽいのは今もそう変わらねえが…。」
「あの時…ティバーンが私を救ってくれた事は…感謝してもし足りない……私をあなたの家族として受け入れてくれた事も」
ならば、とリュシオンはティバーンの方へ向き直る。
「……本当に、あなたは………あのベオクの事を」
「悪いが、これが性分なんでな。…安心しろ、隊を乱す奴らの事情に、ちょっとばかり興味が湧いただけだ」
更に顔色を悪くしたリュシオンへ早く寝台で休むよう告げると、ティバーンは天幕を後にした。
「認めない…私は、絶対に……」
胸底から沸き上がる『負』の感情に苦しみながら、自らに言い聞かせる。こんな些細な言葉の遣り取りだけで耐えられなくなる我が身が恨めしかった。
ティバーンの情を一身に集める、あの青い髪のベオクの事も。
辺りに食欲をそそる良い薫りが広がっている。先程狩ってきた肉を焼いた物をつまみがてら食事に集う面々の元へ顔を出したが、やはり目的の者の姿は無かった。
豆やら肉の切れ端やらを適当に盛り付けた木皿を手に、ティバーンは風が運ぶ匂いを頼りに森を進む。
隊から離れた場所――果たして最後尾の方の天幕をいくつか覗いて、それでも彼の姿は無い。
「ペレアス」
業を煮やしたようにティバーンは鬱蒼とした茂みに向かって声を放った。辺りはすっかり夜の装いで、闇の中にあっては鷹王と言えどベオクと同程度の視界しか保てない。せめてウルキを伴って来れば良かったかと思ったところで、微かに風が動くのを感じた。
「……そこか」
ガサ、と茂みを越えれば、水場が近いのか湿った空気と共に良く知った匂いが鼻を掠めた。さらさらと流れる小川の畔に、ペレアスは踞るように腰掛けていた。
「探したぞ」
「………。」
「俺の天幕に来たんだってな」
僅かに雲間から射し込む月明かりが水面に反射し、それを見ていたペレアスの瞳にも映ってきらりと光る。ティバーンへ向けられたその視線は、戸惑いに揺れていた。
「で、あいつに追い払われた……と」
「すみません……」
「どうして謝る?」
「彼を…不快にさせてしまった...から…」
消えそうな声で告げるペレアスの隣にどかりと腰を下ろし、肩に手を回す。いつもは人目を気にする素振りをするが、辺りが暗い為かペレアスは素直にそれに応え、心細げにティバーンに寄りかかってきた。
「何を言われた?」
「僕の事を理解できない、と…古代語で、多分そんな風に怒鳴っていた……。」
リュシオンの、感情が高ぶると古代語になる癖はまだ抜けていないらしい。
「ああ、…ま、あいつはアシュナードの息子としてのおまえには色々と思う所があるだろうな」
「知らなかったんだ……僕は……それに……」
口を噤むペレアスの事情を知っているティバーンは、分かっていると声をかける。
「暫く、あいつとはあまり顔を合わさん方がお互いの為だろう」
「でも…彼の言い分は最もだ」
「…ん?」
「僕なんかが…あなたに会いたいと願うだけで、軽率に訪れるべきでは無かったんだ」
「どうしてそうなる」
「僕は足手纏いで…母上も…あなたに迷惑ばかりかけて…」
ハッ、とティバーンは短く息を吐くと、うんざりした様子でペレアスの頭をぐしゃぐしゃと撫で付けた。
「自覚があるなら自分で何とかすればどうだ」
「ッ……!」
流石に怒るか反論するかと踏んで軽口を言ったつもりが、ペレアスは今にも涙が零れそうなくらいに潤んだ瞳を伏せ、押し黙ってしまった。
「ああ、冗談だ。そら、いつまでもグダグダ言ってねえでこれでも食え」
ばつが悪そうな鷹王に強引に手渡された木皿には、柔らかく煮た豆と葉物の野菜、いくつかの肉の切れ端が一緒くたに詰め込まれていた。
「…おまえの天幕は?」
「すぐ近くに…」
「おう、案内しろ」
その言葉が意味する事をやんわりと悟りながら、ペレアスはやっと立ち上がる。
「すみません……食事も…、ありがとう…」
「礼ならいい。せっかくおまえから俺に会いに来たのをあいつが払い除けた詫びだ」
「それは…考えなしに行った僕が……」
皿を持つ手をぎゅっと上から大きな手で握られたかと思うと、口付けられる。もう待てないと言わんばかりに。
「俺と会ってこうしたかったんだろ?なあ?――他の奴に何を言われようが、気にするな」
「うん……」
暗い山道を歩きながら、暫くは俺がお前を訪ねるだけにしておくと提案するティバーンに、ペレアスはこくりと首を縦に振った。
END
⇒その後のおまけ話※R-18
ついにリュシオンVSペレアスの話が書けた!!!
今回はVSどころか即リングアウトする勢いでペレアスが下がっちゃってますけど。
ティバーンとペレアスを懇ろにするに当たって避けられないヤーツですねこの確執は…。更にアシュナードの事もあって(実際に仕向けた黒幕は元老院ですけど)、リュシオンとの険悪度はMAXでしょう。
ペレアスは魔道書読める=古代語が読めるはず!ということでリュシオンの言ってる古代語も何となく分かると良いなと…←いや分かったら分かったで残念な気持ちになること言われてますけど…。正論だからなにも言い返せないペレアス、不憫だ
しかしリュシオンには悪いけど、この2人は恨み+嫉妬でドロドロしてて欲しい。
ちなみに鷹王はペレアスと関係を持つのはリュシオンにとっても適度な情操教育(負の気注入)になって良いと思ってる