アカネイア戦記後、ドルーアの地下に囚われたカミュを密かに助けに来るミシェイルの話。
オレルアン国境より、囚人用の鉄檻が付いた馬車を先頭に長い隊列を成したドルーア軍は、各村の往来を練り歩きながら帰路を辿った。
アカネイア最後の王族であるニーナの逃亡を幇助した、将軍カミュこそがその囚人であった。
かのグルニア黒騎士団――大陸最強の軍隊とも称される騎士団の将軍であるカミュはその檻の中、手枷と足枷のほかは剥ぎ取られ、何一つ身に付けていない姿で項垂れるほか無かった。
油の切れた滑車から伝わるガタガタとした振動で、糸のように繊細で美しい金の髪が絶えず揺れている。
あの黒騎士カミュですらドルーアに逆らえばこのような屈辱的な目に晒されるのだと、ドルーア軍は時折見せしめと称してカミュを檻から引摺りだし、鞭打ちを行いながら何事かと集まった民衆へ向かって声高に叫んだ。
降り注ぐ鞭はやがてカミュの背中の皮膚を裂き、彼の白い肌から血が滲み出すと檻に戻された。
粗末な木板に伏して痛みに呻く己を、鉄格子の向こうから憐れみの目で見る者、興味本位で一目見ようとする者、野次を飛ばす者――様々な視線の中、日が暮れるまで晒される。各地の宿場町へ着く度にそれを繰り返すのだ。
ドルーア国へ軍隊とその虜囚が到着する頃には、カミュの背中は赤黒い筋で染まり、その上に生傷が血を滴らせる酷い状態で、外気に晒され続けた彼のブロンドの髪や白い肌は砂埃に縺れ、痩せ細った姿にかつての将軍としての覇気は無かった。
しかしカミュの犯した罪を重く見たメディウスは、彼をグルニアへ帰さずそのままドルーアの地下牢へと幽閉することを命じた。
元より幼い王子と王女を人質とされ、かつ武力の要であるカミュまでも奪われたグルニア国はそれに従うしかなく、彼の解放を望む民衆達の声はついぞ叶わなかった。
◆
――冷たい石階段を下った先、鉄格子で厳重に区切られた小さな牢があり、薄暗いそこでカミュは過ごすことになった。
初めて足を踏み入れた日こそ地面が揺れないだけましであると自らを慰めたが、今度は地下牢の底冷えする空気と四方を囲む石の冷たさが身に染みることになった。家畜ですら地に藁を敷かれ、もう少しましな扱いをされるのではと、体躯を丸め寒さで悴んだ手足を擦りながらカミュはただ耐えていた。
日が明けたのか、沈んだのか……光の届かない地下牢では正確には分からなかったが、看守は一日に一度、最低限の食事を運んでくる。
鞭打ちによって民の注目を集める必要がないのだけがせめてもの救いだった。打たれた背中の傷が乾いた頃、カミュはようやく、牢に置かれた水桶で身を清めることが出来た。
このまま生かさず殺さずの虜囚生活を耐え忍べば、いずれ、或いは……と冷たい石壁を睨みながらカミュは考えていたが、すぐにそれは甘い考えであった事を知ることになる。
◇
「準備が整った、出せ」
無機質な声と共に牢の扉が開く音がして、壁を背に眠っていたカミュは薄目を開けた。と、鎧に身を固めた幾人かが自らを取り囲み、目隠しをされたかと思えば手枷を引かれ、立ち上がるよう促された。
己を何処へ連れ出すのか、疑問に思えどカミュは何も言う気になれず、彼らに従った。
ひたひたと石床を歩き、次第に明るい部屋へと入ったことが瞼の裏に感じられた。足裏に懐かしい絨毯の感触がある。さらに驚いたのは、その部屋の中に少なくとも十を越える人々がカミュを取り囲む気配があったことだ。
部屋にカミュが現れた時、いくつものどよめきの声が上がった。何せそこに立っている男は、手枷と足枷、そして先ほど巻かれた目隠しの布以外、一糸纏わぬ姿であったからだ。
「さて――それでは皆様、お待たせいたしました」
「おい、本当にその男がカミュか?随分と痩せているようだが」
「あまり食事を与えていないのです、無闇に動く元気を出されると困るゆえ」
「よく見えないな、早く中央へ歩かせろ」
男の言葉に応えるためか、カミュはまた手枷に結ばれた縄を前に引かれた。
数歩進み、一段上がった所――どうやら目当ての場所まで来たようだ。
長身痩躯、金髪に青い目をして鼻筋の通った彼の姿は、在りし日のグルニアでは誰もが振り向くほど見目麗しいことでも有名だった。
そのカミュが……との噂に部屋の中に集まった人々は、好奇心を剥き出しにして彼の頭から爪先までを無遠慮に眺め、値踏みしていた。
「名を名乗って貰おうか」
中央のステージへ視線を向けていた男達がしん、と静まる。
「私は……グルニアの黒騎士団――将軍、カミュだ」
落ち着いたカミュの言葉に、部屋の男達はおお、と納得の声を上げた。当のカミュは、この憐れな状態の己が未だに誇り高きグルニアの将軍を名乗っている可笑しさに、歯噛みした。
「……それで、もう使えるのか?」
「いいえ、これからです。先程も説明しました通り、この地下牢に於いて――今後この男の全てをお任せします。それでは、百ゴールドから始めましょう」
進行役と覚しき男の言葉に、カミュは耳を疑った。
これは、今から自分が売買にかけられるという事だろうか?
「待て……私を……」
どうするつもりなのかと問う声は、ゴールドの値を叫ぶ男達にかき消された。五百…千…二千……その値は、あっという間に吊り上がり、一万を越えていた。
「一万五百……他には」
「好きにして良いんだろう? 一万二千だ」
「はい、殺さなければ、ご自由に……。他に、ありませんか?」
つまり我が身の今後の処遇は、今ここで競り落とした者の手にかかっていると云うことだ。一万五千、声がかかる。
そのような大金を動かせる……恐らくドルーアの貴族と称される身分の者、暗黒司祭か、それともマムクートと呼ばれる竜人か……が己を奴隷にするため競り落とそうとしている。寒気がした。
「二万だ」
おお、と一際大きなどよめきが沸いた。
続く声はなく、どうやらその男に決まりらしい。拍手が起こる中、カミュはついに目隠しを外された。
目の前に立っていたのは――
「!?」
叫びそうになる口を伸びてきた大きな手で塞がれた。
黒いフードを目深に被ったその男は、顔を寄せて何事かを呟く。
「黙っていろ」
フードから長い一房の赤い髪が下がる。間違いない、この男はマケドニアの……。
◇
牢に戻されたカミュの前に立っていたのは、長い赤毛の青年――かつてのアカネイアの模擬大会や戦場で、良く見知った男だった。
「ミシェイル……本当に……」
「それはこちらの台詞だ、あの気高い鎧に身を包み澄ました顔をしていた貴様が、随分と薄汚れ、無様な姿になったものだ」
――聞けば、グルニアから亡命を果たしたカミュ直属の部下達が、主君を救い出すため密かにミシェイルへ助けを求めてきたらしい。
「……私は……本来ならメディウス王に殺されてもおかしくない程の罪を犯したのだ……」
「だがメディウスはそうしなかった、貴様を無下に扱うことで、グルニアを徹底的に支配下に置く為の――駒として利用するために」
「ふ……ここへ来るまでに一思いに殺せば良いと思わせる様な仕打ちを受けてきたがな」
「そこまでしてあの女に入れ込むとは、グルニアの名将も色には弱かったか?」
「ニーナ……、彼女とは、そんな関係では無い」
「ほう?どうだかな……。だが、それもすぐ忘れさせてやろう」
「何?」
「忘れたか?貴様の身は俺が買い受けたのだぞ」
それもマケドニアの貴重な国庫からな、とミシェイルはいつの間にか牢の中に手配したであろう簡素な寝台に向かって、カミュを押し倒した。
「それ相応の見返りを貰わねば」
「……生憎私は戦いしか出来ぬ武人だ。政は…」
「貴様にそんな事を期待しているのではない、馬鹿め」
「では、一体……」
「カミュよ、もう黙れ」
「ッ……!」
フードを下ろしたミシェイルがカミュに覆い被さる。
手足を拘束された上、ここ数日の虜囚生活に力を削がれたカミュに成す術はなく、ぐいと顎を掴まれるとひび割れた唇に指がかかった。
「分からぬか? 貴様は今日から、マケドニア王の慰み物だと云うことだ」
「……王……。では、お前はついに父王を……」
「………黙れと言っている!」
「ッ!!」
カミュの言葉に怒りを滲ませたミシェイルは、だが、それに反して触れるように優しい口づけを彼に落とした。
驚きで目を見開くカミュに、ミシェイルは声を落として続けた。
「俺とてここへ忍び込むのは容易くはなかった――だが、貴様を俺好みに仕立てられるとあれば、話は別だ」
「狂ったか、ミシェイル――、」
「俺が?――ハハッ……その言葉、そっくり貴様に返してやる」
「うっ……ぐ…」
両肩を押し付けられ、まだ完全には癒えていない傷だらけの背中がシーツに擦れて痛み、カミュの眉間に苦悶の皺が寄った。
それに気付いたミシェイルは手を緩めると、背中の他にもカミュの身体に幾つも刻まれている古傷を指先でなぞった。肩、腕、脇腹……その一つ一つを確かめるように。
「狂わせてやる――覚悟しろ」
「………。ミシェイル……」
カミュの青い瞳に映るのは、目の前の獲物をどう仕留めるか、ぎらぎらと黒い心を宿した鋭い瞳で画策する男の顔だった。
◆
一年の後、ニーナの要請を受けたアリティアとオレルアン連合軍は遂に王都アカネイアパレスを解放し、ドルーアの形勢が傾き始めた頃、カミュはようやくこの地下牢から開放されることとなる。
その後の戦場で、ミシェイルとカミュが再び顔を会わせることは無かった――と、歴史書には記載されている。
了
後書
アカネイア戦記後の虜囚カミュ、設定や仕打ちがエッチすぎるのできっとこんな闇オクにもかけられてるはず…そうだミシェイルで助けるふりしてチョメチョメしたろ!という下心だけで書きました。
ミシェイルがやたらマルスに対して怒り狂ってるのはきっとカミュを手離さざるを得ない状況になったからだよね~、そして新2部でしれっと再会してワーオな展開に…??ってところまで妄想しました。
ミシェ×カミュENDルート、あってもいいと思います(真顔)