ガルグマク大修道院に夜の帳が下りる頃、一人の老兵が彼の主の部屋へ続く階段を登っていた。
 屋上に広がる庭園から高原の冷えた風が回廊に吹き込み、銀糸混じりの緋色の髪束をたなびかせる。
 寒さに身を強張らせ、やはり、来るべきではなかったと眉間に皺を寄せながらも、とうとうその入口である豪奢な扉が眼前に姿を現した。
「猊下」
 古びた金の引手を軽く鳴らせば、主はすぐ扉を開いた。
 これ以上中に踏み入る気はなかった。しかし、こちらの姿を認めて和かに微笑みを浮かべる主を無碍にすることもできない。
 また明日――日を改めて――主の望みを断るために用意した文言が、さも容易く喉奥に消える。
「来てくれて嬉しい、ギュスタヴ。さあ……」
 寒空に冷やされた体躯を労るように背を抱く若い主に、老兵はもはや誘われるほかなかった。

 ◇◇◇

 今夜、俺の部屋へ来て欲しい――

 働き尽くめのギュスタヴにとっては珍しい休日だというのに、朝からずっと礼拝堂で祈りを捧げている様子だと従者から聞きつけた大司教ベレトは、ギュスタヴのもとへ駆けつけるなりそう告げた。
「……今夜、と申しますと」
「そういう意味だ」
 祈りを捧げるため組まれていたギュスタヴの手を取る。かさついた皮膚に刻まれた皺を優しく撫でると、蒼い瞳が狼狽えたように見開かれた。
「ご冗談を……猊下、このような老いぼれを揶揄ってはなりませんぞ」
「本気だ」
 懐から薄紫の石が朝日色に輝く銀の指輪を取り出すと、老いさばらえた古枝のような薬指へ嵌めようとするベレトに気付いたギュスタヴは、慌てて主人の手を振り払った。

 ――沈黙が続く。

「…………考え……させて下さい……今日はあまり身体が動かぬ故……」
 勿論、分かっている。ギュスタヴはダスカーの悲劇の影響か、ある日突然、まるで蛻の殻のようになってしまう事があるということ。どうしようもなく気落ちし、脱力感に苛まれ、日課である鍛錬や趣味のことすらままならない――そんな時は、ずっとこの礼拝堂で亡き者達への祈りを捧げているということ。
 そうすれば、周囲の人々はギュスタヴを腑抜けた老人ではなく、敬虔な信者の姿だと讃える目で見てくれるのだと――以前、ベレトはそう聞いていた。
 はぁ……と、耐えかねたような重い溜息がギュスタヴから漏れる。
「……無理をしなくていい、俺はギュスタヴとお茶を飲んで……それから、共に抱き合って眠り、朝を迎えたいだけだ」
「畏れ多いことを……」
 愛しくも哀しい貌でギュスタヴが微かに微笑んだのを確認すると、ベレトは礼拝堂を後にした。

「酒を用意した方が良かったか?」
「いいえ。……本当に、あなたは茶を淹れるのがお上手ですね」
 ギュスタヴの好むラヴァンドラの安らかな香りが部屋を包むと、険しい顔が少し緩まった……ような気がする。
「美味しいです」
 日中見た時よりも幾分か生気の宿った瞳が、正面のベレトを見据える。
 それから二、三言、たわいもない会話を交わす。ここまでは二人の間の慣例行事だった。
「では……私はこれで……」
「ギュスタヴ」
 ティーカップが空になると、そそくさと立ち上がったギュスタヴを慌てて引き留める。
「猊下……御許しを」
「おまえの忠義心はその程度か?」
「っ……」
 思わず放ってしまった言葉に、ギュスタヴの顔が曇る。……しくじった。そんな顔が見たいのではないのだ。
「いや……すまない。俺はギュスタヴの忠誠はもう充分すぎるほど貰っている。あとは……俺の想いを受け入れて欲しいだけだ」
 この頑固で意気地な老兵の心を融解させるには、どうすれば良いのだろうか。
 ベレトはやはり自らの想いを真摯に綴ると、再び指輪を取り出した。
「これを……受け取って欲しい、ギュスタヴ」
「猊下……それは……それだけは、出来ません」
「……ギュスタヴ」
 彼が既に妻子ある身である事は百も承知だった。だがその確執は一定、あの戦争を経て終結したようにベレトは思っていた。だが、彼はまだ家族を捨てた自分の行いを赦していないのだろう。
 ましてや、自分だけが新たな人生の伴侶を得て幸せを得ることなど、まさしく禁忌を冒すに等しい行為といえる。
 たとえそうであっても――
「俺はギュスタヴの……全てを受け入れる覚悟がある。おまえの罪も、罰も――幸福も、その身に全て、味わわせてやろう」
「そこまで、この老躯に執心するだけの価値があるとは……とても……」
 ギュスタヴは目を伏せ、しばし沈黙した。
 腕を組み、無精髭の残る口元に手をやり、うむ……。とひとつ頷くと、深青の双目が真っ直ぐにベレトを見つめた。
「……しかし、それが猊下のお望みであれば、私はこの身の全てを捧げましょう」
「……!」
 深々と頭を下げながら、ギュスタヴは続ける。
「如何様にも、なさって下さい、渇いた老耄と詰ろうとも……」
 ギュスタヴは徐に信徒の証であるくすんだ橙の首巻を解くと、詰襟の前合わせを外し、ベルトを緩め、灰青のローブを脱ぎ去った。そして中に着ていた白いシャツの前を開け放つと、その下から見事に鍛え上げられた筋肉に覆われた胸板が現れた。
「身は……清めてきたつもりです……」
「……分かった、こちらへ」
 ベレトは内心、胸の高まりを感じながら、奥に続く寝台へとギュスタヴの背を押した。

 寝台にて、ベレトも纏っていた夜着を脱ぎ去る。
 上半身を裸にした二人は、広いベッドの上に腰掛け、身を寄せ合った。
「……綺麗だ」
「貴方の方が、お綺麗です……こうして肌に触れるのも憚られるほどに……」
「もっと触ってくれ」
「……御意」
 初めは腕を引き寄せるだけだったギュスタヴは、ベレトのスマートな体躯を優しく抱き寄せ、その大きな掌で長めに跳ねた後ろ髪を撫でつけつつ、肌と肌を密着させた。
 体格に恵まれたギュスタヴの胸板の厚みを感じながら、ベレトもギュスタヴの胸元に右手を滑らせる。胸の中心部からどくり、どくりと脈打つ心臓の鼓動を感じ、しばし聴き入る。
「……抱きたい」
「お任せします、猊下に……」
「好きにするぞ?」
「……恥ずかしながら、こういった事にはあまり慣れていないのです……何か無礼があれば申し訳ない」
「おまえの感じたままに応えてくれれば良い、ギュスタヴ」
 ギュスタヴの顎に手を添えると、ざり、と無精髭がベレトの手を刺す。それも厭わず、ベレトはギュスタヴに口づけをした。
 親愛のフレンチキスから、やがて唇を軽く舌でつつき、恋人同士がする口づけへと変化する。
 少し渇いたギュスタヴの唇の表面が唾液で湿り、さらに濡らしてやろうと軽く食めば、ギュスタヴもそれに応えて口腔を開いた。赤い隙間に、ベレトが舌を差し入れる。
 分厚い舌の弾力を味わうように舌を絡ませてから口を離せば、はぁ……と熱い吐息が頬をくすぐった。

 眉間に刻まれた皺がやや薄くなり、形の良い眉がとろりと下がっているのを確認してから、ベレトはギュスタヴの胸の小さな飾りを優しく指で撫でた。くすんだ色のそれは、されど愛撫によって叙々に硬く尖り、弾力を帯びてくる。
 く……と押し殺した呻きを漏らすギュスタヴに、大丈夫だと背をさすりながら耳打ちした。
「ん……あ……猊、下……」
 ギュスタヴの耳にかかっていた長い髪が、さらりと首筋に流れる。銀色混じりの緋色が美しい。
 長く伸びるそれを手で梳いたあと、しっとりと汗ばんできた首筋から鎖骨を撫で、すっかり硬くなった乳首を指先で摘み捏ね回すと、太い喉笛が震える。堪らず、もう一方の乳首に吸い付き、舌で押し潰した。今まで弄っていた方の乳首は大きな胸ごと手のひらで覆って揉みしだく。
 そうするといよいよ、ギュスタヴが苦しげに身を捩り出す。
 十分に胸の果実を味わった後、ギュスタヴの長い足を覆う白い下履きの中心に目をやれば、そこはこんもりと存在感を増していた。
「ハァ……ハァ…………、お恥ずかしい……年甲斐もなく……」
 上気した頬を赤く染めながらそれを手で覆い隠そうとするのを、ベレトは逆に捕らえて自らの身体の中心へ導く。
「俺も同じだ……恥じることはない」
「……ふ、本当に……物好きなお方だ……」
「おまえはそうやって自らを過小評価し過ぎだ。ファーガスの誉である歴戦の騎士を手籠にする、……それも、元生徒の父親を」
「っ……」
 ベレトは自らの槍を突きつけるように、薄い布で覆われた熱い砲身をギュスタヴの中心にぐいぐいとすり寄せる。
「そして、俺は今や大司教……。おまえは俺に槍を捧げた、ただの一人の老騎士……。えもいわれぬ、背徳感だな……」
「ぅ……、く…………」
 ベレトの言に狼狽えながらも、布越しに感じるギュスタヴのそれも、熱く、質量を保ったままだった。
「そろそろ……入れたい」

 高く付けられた天蓋に、獣が呻くような声が篭る。
 一糸纏わぬ姿となった巨大な体躯は、全身をしっとりと上気させ、柔らかなベッドに突伏して主の熱を体内に感じていた。
 呼吸を整えようと何度も何度も息を吐きながら、それでも穿たれるたび絹のシーツをくしゃくしゃに握りしめ、ぐぅぅ……と呻き、時に裏返った声を上げた。
 張りのある肉と肉がぶつかりながら、香油に塗れた孔の奥まで突き、擦り上げられ、初めて味わう腰奥が痺れるような快楽に、ギュスタヴは成す術もなかった。
 愛し愛される苦しみと悦びとはかくあるものかと、受け入れる側になってようやく気付かされ――その嵐のような感情と熱に、一筋の涙を零した。
 若いベレトの滾りを最奥に受けると、ギュスタヴもまた、蟠った熱を解放した。
 久しぶりの感覚に目の前が白く弾け、言葉にならない声を上げたあとくず折れるようにシーツに身を委ねた。

「ギュスタヴ……ギュスタヴ……愛しているんだ……ギュスタヴ……」
 ふと、背中に覆い被さったまま動きを止めていたベレトがまた、左手に指輪を嵌めようとしているのに気付く。
「ッ……、それは、なりま、せ……」
 息も絶え絶えに、しかしギュスタヴはベレトの手を振り払う。
 銀の指輪はベレトの指先から離れ、さらりと絹の海に滑り落ちていった。
「何故だ! ギュスタヴ……これからは自分のために生きると、そう言っていただろう」
「いいえ……、これは――罰なのです。女神が、私に与えた――」
「………。」
 ギュスタヴはベレトに向き直ると、祈りの手を組み、シーツに額を擦り付けるように深々と頭を下げた。
「私が赦されるのは……。この身が女神の身許へ召される刻のみ……」
 敬虔な信徒の拝礼する姿に、ベレトは手から離れ落ちた指輪を手繰り、握りしめた。噛み締めた奥歯がぎりりと鳴り、力が入りすぎた拳がぶるぶると震え出す。
 だが、決して指輪を受け取ろうとしないギュスタヴの信念を曲げることは、今の自分には不可能なのだと悟る他なかった。
 まだまだ自分と彼の間には時が必要なのだと、ベレトはひとつ深呼吸をし、ギュスタヴに顔を上げるよう求めた。
「では、ギュスタヴ……。その命が尽きるまで、俺と共に生きてほしい」
「はい……猊下」
「おまえも、俺の名を呼んでくれ」
「…………ベレト……様」
「……嬉しい」
「私も……猊下の寵愛を受け……この上なく幸せです」
 そう言ってギュスタヴが見せたのは、あの愛しくも哀しい笑顔だった。

 寝台の上で抱き合いながら、体の繋がりだけではなく――いつか心を繋ぐべく――愛しい老騎士の背に残る無数の古傷を撫でていく。
 いっそ血を分け与えてしまおうかと、永遠に近い時を二人で過ごせば変わるものもあるのかもしれないという考えに至り、しかしすぐ否定した。同時にこの身に血族と同じような烈しい感情があったことに気付き、この寝台に元居た大司教の想いを感じたベレトは静かに涙した。

 END