ヤシロへの愛が暴走しがちなパパヤシSS
※親臣が子ども弥代に暴力を振るいます
※弥代と母親は当然のように死別の設定です
「……どうした?親臣」
「………。」
弥代が樹と肩を並べてイドラスフィアを去っていく姿を虚空から認めた後、微動だにしないマスターの姿に黒髪のミラージュが声をかける。
「っ……いかんな……歳を経てこうも涙腺が緩むとは」
「五年ぶりの息子との再会だったのだから、感極まるのも無理はないと思うが」
「ヤシロ……」
ず、と鼻を啜る初老の紳士ーー稀代の名俳優、剣親臣も弥代が去った後はひとりの親の顔をしていた。肉体を失った彼はもう現世に戻ることは叶わない。いずれこうなることを承知の上、ロンクーは親臣の魂をイドラスフィアに繋ぎ止めていた。
「……心残りがないと言えば嘘になる。私は……あの公演で初めて、ヤシロと同じ銀幕の舞台に立つ筈だった。その為に、……厳しい稽古をつけた」
親臣は知っていた。弥代がこの世に生を受けたときからーーこの子は自分を超える才能を秘めている存在だ、と。
産声を上げる愛しき我が子にまず誰よりも魅了されたのは、他の誰でもない、親臣自身だった。
「ヤシロ!ヤシロ……!!聞いているのか!!さっきの台詞だ……もう一度、感情を乗せて言い直せ!!」
「父さん……」
ある時、珍しく日が落ちる前に帰宅した親臣は弥代に稽古をつけてやろうと誘い、弥代も最初は喜んで台本を手にレッスンに臨んだ。弥代が物心つく前から親臣は弥代を自らと同じ芸能事務所に所属させ、既にスーパースターの地位を確率していた剣親臣の息子ーーという箔もあり、弥代は子役として着々と芸能活動を生活の基盤として成長していた。
親臣の思惑通り我が子の才覚は凄まじく、今年で十歳になろうとする弥代は赤ちゃんモデルやドラマの端役から始まり矢継ぎ早に芸歴を重ね、既に有名放送局の朝ドラマで名前のある子役として毎日のようにスタジオへ出入りする日々を送っていた。撮影のない日は歌唱、ピアノ、ダンスのレッスンーー義務教育もそこそこに、(尤も、弥代の通う学校は芸能人御用達の名門エスカレーター式小中一貫校で、周囲から理解は十分得ていた)芸能活動中心の暮らし、それが弥代の普通であり、親臣もそうだった。今や国内外を問わず活動をする親臣が家にまともに帰ること事態、一週間に一度あるかないか……。ドラマの撮影とあれば地方へ何ヵ月もロケ隊と共に赴き、かと思えば海外へ撮影のために出張撮影、帰国すれば所属事務所によって舞台公演のスケジュールがぎっちりと組まれている……それがこの親子の普通の生活だった。
だから幼い頃の弥代は、親臣が高級タワーマンションのワンフロアを占めるこの自宅に帰宅したとあればとみに喜んだ。明くる朝、父がまた仕事に出ようとすれば離れたくないと足に泣き縋る弥代を、親臣は一層愛しんだ。可能な限り、親臣は自分の撮影所へ弥代を連れて行き、現場で生の演技を見せ、楽屋で台本を読み聞かせながら弥代に文字を教えた。
「……嫌だ」
「何だって」
いつも親臣の熱のこもった演技指導を泣きそうになりながらも歯をくいしばってこなしていた弥代が、そんな弥代が、今日は父にそっぽを向いてそう言った。
バン!と親臣は手にしていた台本を書斎机に叩き付ける。びくりと身をすくませた弥代はーーだが……親臣の方を向こうとしなかった。
「もう嫌だ……今日は……せっかく父さんが早く帰ってきたのに……もう、寝る時間になってる」
「ヤシロ」
「ずうっと……同じ台詞ばかり、読んでる」
「それはお前の感情が台詞に乗っていないからだ、読むのではない、いつも言って……」
親臣の言葉は弥代の中を滑り落ちていくようにまるで伝わっていない様子だった。
「……分からないのか?ここはな、お前の役の少年が母親のために自分の小遣いで買ってきた花を贈る、この回で一番の見せ所なんだ、いつもありがとう、は母への感謝の感情と、気恥ずかしさを含めて……」
「そんなの、分からない!!俺には父さんしかいないのに!!」
「ッ……!ヤシロ……」
「父さんだって……いつも、俺が起きたら居ないじゃないか、最近、一緒に現場へ連れてってもくれないじゃないか」
「それは、お前も撮影があるからだろう……ヤシロ、公私混同するんじゃない、お前が思っているより芸能の道は厳しい、生半可な覚悟で役に臨めば、次は無いんだぞ」
「なら……もうやめる!」
「ヤシロ!!」
パン、と親臣は弥代の頬を張った。同じ芸能の道を歩ませるにあたり、いくら息子といえどもその言い草に怒りを抑えることは出来なかった。
ぶたれた頬を朱に染めた弥代の青い目が潤み、ぽろぽろと涙が溢れ落ちる。弥代の啜り泣く嗚咽が、書斎に悲しく響く。
「すまん……すまない、ヤシロ……。おい、冷やすもの、持って来い、早く」
部屋の外で控える小間使いにそう指示した親臣は、跳ねた白黒の頭をぐしゃりとかき上げ、ああ、子供相手に思わず手を上げてしまったと己の行為を恥じた。だが、弥代の言葉が聞き捨てならなかったのは事実ーー
親の目から見ても整っている顔をくしゃくしゃに歪めて、弥代は涙を流していた。
「泣き止め、ヤシロ……情けない」
「ひぅ、ぅ、……と、父さ、なんか……きら、……嫌いだ……」
真に情けないのは手を上げた自分だが、それでも父親としての沽券か、親臣は弥代をそれ以上宥めすかしたりはしなかった。弥代が本気でこの役をやりたくないと言うのならば……
「父さんの、馬鹿……芸能馬鹿……バカ!!バカ!!」
ぅう、と嗚咽混じりに父親を思い付く限りの罵詈雑言で威嚇する弥代を、親臣はただ見詰めていた。
やがて小間使いが扉を開け、冷やしタオルを銀の盆に置いたものを気まずそうに差し出してくる。親臣はそれを書斎机に置かせると、短く礼を言って退席させた。
「……これで冷やせ、自分でやれるな?」
ブラウスの袖で涙を拭いながら、弥代はぶんぶんと頭を降る。
「甘えるな」
語気を強めた父の言葉に、再びショックを受けた弥代が
わっと泣き始める。その哀れな息子の背の一つでも撫でさすってやりたくなる気持ちを、拳を握りぐっと堪える。
「おまえがさっき言った言葉を撤回しない限り…許さんぞ、泣こうが喚こうが、だ」
「えぅ……グスッ、ぅう……い、やだ、やだ……」
「ヤシロ!!」
「っ……あ……」
ぺたん、と怯えた弥代がその場に膝をつく。そのまま頭を下げた弥代は、ウッ、ウッ、と嗚咽に喉を震わせながら固まってしまった。
「……早く冷やせ、顔の腫れが引かなければ役に支障が出る」
「………………。」
無言の弥代。親臣はふう、と息を吐いた。
「……………拗ねるのはよせ、もうそんな歳でもないだろう」
言いながら、少し前まで無邪気な顔をして台本を懸命に読んでいた弥代を思い、親臣の胸がチクリと痛む。分からない…分からない……弥代は本当に、あの台詞……「お母さん、いつもありがとう」の気持ちが分からないのかも知れない。
こんな時、母親ならどうするだろうか……親臣は考えた。弥代の母はーーここには居ない。弥代はかつての最愛の人の忘れ形見でもあった。弥代は母の乳を吸うことなく育ち、かといって愛情に飢えている様子もなく、父一人子一人ーー素直で聡明な少年として、家にいる幾人かのハウスキーパー達からも常に愛されし存在だった。それが、今ーー。
これは弥代の人生二度目となる反逆なのだろうか、と親臣は思い当たった。よちよちと歩いたかと思えば広い家をまるで怪獣のように荒らし、泣き、言葉も覚束ない頃に弥代は一度目の反逆をした。ハウスキーパーやシッター達が悲鳴を上げる中、だがそうそう家を空けていた親臣の記憶としては、食事をイヤ!と何も食べずに走り回ったかと思えば、やがてスイッチがきれたかのように床で眠る、いかにも可愛らしい姿だった。
さて、どうするかと親臣は腕組みをしてヘソを曲げた可愛い我が子の丸い頭を見下ろしていた。貴重な修練の時間が浪費される一方だと呆れつつ、ついには、親臣の方が折れた。
「……ヤシロ………。風呂にでも入るか……一緒に……」
「………。」
父の提案に、下を向いてべそをかいていた弥代は素直にこく、と首を縦に振り、従った。