HEROたるもの



 鳥頭目芸能塾でのレッスンを終え繰り出した昼下がりの渋谷は、いつも通りの喧騒に満ちていた。
 この街に足しげく通うようになってからはその人波にも慣れたものだったが、今日はまた一段とうるさいのが横にいる。エリーだ。
「俺はラーメン」
「あたしはグリーンスムージーよ!」
 それ腹に溜まるのかよ?と聞き返すも、いいのよ!の一点張りで話し合いにすらならないため、とりあえずどちらも頼めそうな駅前のカフェへ向かうことにしたのだが。
「おまえの横で俺だけガツガツ食ってるのもなあ…」
「台本読んでるからいいわよ、気にしないで」
「いやいや、そうじゃなくて俺が気にするんだって…ん?」
 交差点へ差し掛かったところに人溜まりが出来ていたせいか、自然と二人の足が止まる。
 何かイベントでもやっているのかと思った矢先。
「っ痛ててて…。オイ!何しやがる!」
 突如人混みに響いた怒号に、人より頭一つ高い視線をやる。ざわめく周囲の中にぽっかりとアスファルトの見えるその一画に、ベルトから伸びる鎖をジャラジャラと垂らしながら尻をついた金髪の男と、その両脇には似たような出で立ちの茶髪の男、やたら派手なスカジャンを着たスキンヘッドのいかつい男…いわゆるチンピラの類の男達が目に入る。
 そしてその正面に立っているのは、あろうことか見覚えがある紫のスーツ姿。
「俺はここに立っていただけだが」
 周囲の人々が顔を背ける中、彼は連れの男達に腕を引かれ立ち上がった金髪男に何やら悪態をつかれているようだったが、スラリとしたその両脚は微動だにしない。
「テメェ、さっきからスカした顔で俺の前に立ちやがって、気に入らねえんだよ!」
「信号が変わるのを待っていたからな」
「おいニイちゃん、つべこべ言ってねえでこっち、ついて来いや」
 野次りつつ口端をニヤつかせて進行方向に立ちはだかる男達に、腕組みをして何やら考えるような素振りを見せた後。
「ついていけばいいのか?」
 あっ、と声をかける間も無く、弥代はその”いかにも”な男達と共にビルの隙間へと消えてしまった。

「……ねえ、今の」
「ああ」
 その現場を見てしまったのだから仕方ない。頭で理解するより先に身体が動いていた。
「マイコさんに連絡しといてくれ!」
「ちょっとトウマ!?あたしも行くわよ!」
 駆け出した赤い髪の背を、甲高い声と共に緑のスカートを翻したエリーが続く。


     ◇◇◇


 表通りの喧騒から一転、じめじめして昼なお暗いビル壁に囲まれた袋小路の一角に、果たして弥代はいた。
「見つけた!ヤシ…」
「おい、待てよ」
 なんで!?と不服そうなエリーに対し、こういうのは出ていくタイミングがあるんだよと目配せすると、ひとまず壁の窪みに身を潜める。
 芸能事務所に身を置く立場上、変に騒ぎを起こすより何事も穏便に済む方が良い。しかし当の弥代を取り巻く状況は、思惑とはすっかり真逆を行ってしまっているようだった。
「突っ立ってないで何とか言えよ、オラァ!テメェ…俺にビビって何も言えねえのか?アァ?」
 どこからか吹き付ける換気扇の生暖かい風が漂う嫌な空気の中、人気が無くなったことで気が大きくなったのだろうか。弥代の眼前で凄む金髪男の罵声がコンクリート壁に響く。
「俺はスケジュールが詰まっている。用件なら手短に済ませろ」
「ナニ上から目線で物言ってんだァ?ここまで来て何もしねぇで帰すとでも思ってんのかよ」
「今日はオレ達にたっぷり付き合ってもらわねえとなあ?」
 まるでテンプレートのようなチンピラの言い分に、心の中で頭を抱える。この流れだと、金をたかられるか、最悪リンチか。
 しかし弥代の泰然とした表情は変わらなかった。
「ならば貴様らに用はない。そこをどけ」
 まあ…弥代ならそう返すだろうなと斗馬は軽く溜息をついたが、案の定その言葉で火に油を注いだようにチンピラ達はヒートアップする。
「ハァ?オレ様にぶつかっといて何だよその態度は!さっきからオレ達をナメてんのか!?」
「さっさと詫び入れろや!」
 弥代を取り囲み、コンクリート壁を叩きながら恫喝する男達。いくら弥代といえど相手は見るからに危ない男三人…多勢に無勢だろう。
「オラァ、泣け!泣いて許しを請えば許してやってもいいぜ!」
 嫌な記憶が頭をよぎる。同じだ。
 弥代に昔の自分を見ているようで、胸の奥からふつふつと怒りが噴出してくる。

 しばらくの沈黙の後、弥代はクールな表情を変えないままに口を開いた。
「…泣けばいいのか?」

――やーいやーい!弱虫泣き虫貧乏虫、トウマ!
――悔しかったらじいちゃん連れて来いよー!

 少年時代に受けた自分の境遇に対する嘲り、いわれのない暴力…。
 悲しみの淵から自分を救ってくれたもの、それは…。

「…エリー、いくぜ!」
「はいよ!そうこなくっちゃね」
 再び駆け出した斗馬が、弥代と男達に向かって叫んだ。
「ヤシロ!助けに来たぜ!」
「あたしもいるわよ!ヤシロ!」
「赤城斗馬と…。フッ、丁度いい」
 突如物陰から現れた二人の姿に、何だテメェらと騒ぐチンピラ男達。
「この俺が来たからには……ってオイ、ヤシロ?」
 チンピラヤクザに仁王立ちで大見得を切る斗馬の口上などどこ吹く風、弥代は、つかつかとその横のエリーに近づく。
「弓弦エレオノーラ、今週の季節外れのUFO、シーン8だ。付き合え」
「え?ちょっと、なによいきなり!」
 突然の弥代の申し出にエリーが目を白黒させる。
「月島カグヤが月を見てお前の役のエリコを想うシーンだ。台詞は…」
「わ、分かってるわよ!…『じゃあね、カグヤくん。また明日、学校で!』」

『うん。またね…』

 そう呟いた弥代は、既に別人だった。
『月が、綺麗だ……』
 黒と青の目を細めて見上げる空に、勿論月などない。だが確かにそこにある満月に、ヤシロ――カグヤは照らされていた。
 空気が違う。先程までの路地裏で燻っていた風は、爽やかな夜風となって頬を撫でた。
 実際、斗馬が弥代の演技を生で見るのはこれが初めてだった。

『君を想うよ、エリコ……』
 呟いた弥代の頬にはら、と伝う涙。
 魅入られるとはこの事だろうか。その場に居た全ての者が息を呑む。

「……これで良いか」
「っっ!」
 演技を終え、もとの氷のような表情を貼り付かせた弥代の問い掛けに、あれだけクダを巻いていたチンピラ達が後ずさる。
「ッ、ち、チクショウ!」
「危ない!」
 急に弥代へ伸びた拳に気づいた斗馬が弥代を背後に庇うと、バランスを失った男の身体が派手に転がった。
「グワッ!!……て、テメェ…!」
 金髪のチンピラ男が再び地に手をつける羽目になったせいか、怒り狂った他の男達も続いて振り上げた拳を受けるべく構える。
「やめろ!これ以上手出しはさせねーぜ!」
「そうよ!それにもう警察には通報したわよ!」
 動かぬ証拠もあるんだからと、エリーが動画撮影中のスマホを掲げる。
「チッ……畜生!覚えてやがれ…!」
 したたかに打ち付けた腰を押さえながら、捨て台詞を残してチンピラ達は走り去っていった。

「ああいうヤツらって、逃げ足だけは早いのよね…」
 チンピラ達の逃げた方向を見つめながら、エリーがふくれる。
「ヤシロ、大丈夫か?」
「問題ない。ところでなぜお前たちはここにいる」
 それを聞いたエリーが、なんですって!?と言わんばかりに目を見開くと、今度は弥代に向かって大口を開いた。
「あなたが明らかに危ないヤツに絡まれてるのを見たからでしょ!心配したんだから!」
「…心配?」
「ほんっっと、お礼くらい言ってもらっても良いんじゃない!」
「礼か、今お前に稽古に付き合ってもらったことに対してか?」
「違うわよ!!」
 じゃじゃ馬よろしく騒ぐエリーと、腕組をして首を傾げる弥代の様子に、斗馬はポリポリと頭を掻きながら盛大な溜息をつくしかなかった。


     ◇◇◇


「…と、まあ、そういった感じで。大事にならなくて良かったぜ」
「そうか。大変だったな、トウマ」
この後始まる雷牙ヒーローショーの控え室で待つ間、斗馬は件の事の顛末をカインに話していた。
「いや本当…。あの後ヤシロはすぐジムに行っちまって、おかげでエリーの機嫌はずっと悪いし、マイコさんからは鬼電されるし……。ま、でも」
「うん?」
「あいつ…ヤシロが、あの時まさか演技で悪を圧倒するなんて、思いもよらなかったぜ」
「ヤシロ殿の優れたパフォーマをもってして悪を成敗したという事か」
「それに…見てて正直、カッコ良かった」
「ふむ……」
 パイプ椅子に座る斗馬が、膝の上で組んだ手に視線を落とす。
「カインには言ったよな?俺がヒーローを目指すきっかけ…。あんまり良い話じゃねえけど、子どもの頃に両親が蒸発してから、俺は周りのやつらに泣かされっぱなしで……。それで俺は、テレビで見た憧れのヒーローになるって決めた訳だけど」
「そうだったな」
「でさ、高校でイツキと会ってすぐぐらいに…街で偶然、俺を虐めてた奴等と出会ったんだ。その時、俺は不安だった。また何か言われたりするかと思って…。案の定そいつらは俺とイツキに絡んできた。どうしてこんな貧乏な奴なんかと一緒に居るんだって」
「……………」
 言いにくそうに話す斗馬をカインの真一文字に結んだ口が見つめる中、一呼吸置いて、再び斗馬が口を開く。
「でもさ、イツキは今まで俺を虐めてきた奴等にきっぱり、友だちだから、って言ったんだ」
「ほう…。なるほど、イツキ殿らしいな」
「まだ高校始まったばっかで、友だちらしいことなんて一つもしてねえのにだぜ?でも俺はその一言にすげー救われて…あの時のイツキは、俺のヒーローだった」
 カインが頷く。
「そんな風に…こう、自分の信じるやり方で周りを納得させる力があるってのは凄いって思ったんだよ、ヤシロの演技も、イツキの言葉も」
「そうだな、人は様々な力を持っている…。英雄たるもの、仲間の持つ力を認め、共に歩むのは大切な事だ」
「だよな。だからこそ大事な仲間を悪の手から守りたいし…俺も、ミラージュマスターとして負けてらんねー!って」
「その意気だ、トウマ。お前のその仲間を思う熱き心の強さは、他の誰よりもパフォーマの輝きを放っているぞ」
「ハハッ、カインにそう面と向かって言われると嬉しいぜ」
いつもは厳しいカインの激励を受けた斗馬は、照れ臭そうに鼻の頭を人差し指で撫でた。

 その時、控え室にノックの音が響く。
「すいません、挨拶に来ました!」
「おいっす、どうぞ!」
「失礼しま……えっ!?」
「んなっ…お前は…!?」
 控え室に入って来た金髪の男の姿を見るなり、斗馬は目を疑った。その男が今しがた話していたチンピラ連中の主犯格だったからだ。
「なんでここに…」
 件の恨みを晴らしに来たのかと警戒する斗馬だったが、その意に反し、金髪男は照れ臭そうに頭の後ろに手をやるとぺこりとお辞儀をした。
「あっ、あの、実は…あの時の演技見て…俺もガキの頃から役者になりたかった夢を思い出しちまって…。それで手当たり次第演者の応募してたらここのショーのエキストラに受かって…」
「!?」
男から出た思いもよらない言葉に、斗馬は開いた口が塞がらなかった。
「あんた、フォルトナエンタテイメントの赤城斗馬だろ?牙豹真役の…。俺より年下なのにすげえ。大抜擢だ」
「え、いや、まあ…。下積み長いし、演技も、まだまだだけどな」
「そんなことねえ!…あ、いや、ないですよ!今日のショー、よろしくお願いしまっス!」
 あと、良かったら俺を弟子にして下さい!と手を差し出してくる男に、斗馬はさらに面食らう。
「フッ…トウマ、お前も英雄たる者、応えてやる必要があるんじゃないか?」
「…ああ」
 カインの声に、斗馬は吹っ切れたようにいつもの笑顔を見せた。
「もちろんだぜ!ヒーローたるもの昨日の敵は今日の友!これからよろしくな!」
 感激で破顔する金髪男の手を取ると、二人はひしと熱い握手を交わした。

 終


後書
トウマアンソロに寄稿したSSです。参加させていただきありがとうございました!
カインと兄弟みたいに語り合う関係が熱くてめっちゃ好き…
(そして当然のように出張るエリーとヤシロ)